It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

永遠の橘真琴、あるいは橘真琴の永遠

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 永遠なんて言葉はやっかいで、簡単に物事を陳腐にしてしまう。

「Free!」2期のサブタイトルが「Eternal Summer」だと伝えられたとき、わたしの心には行き場のない不安が満ちていた。

 べつに「Free!」そのままか、「Free! Second Summer」、「Free! Final Summer」、それこそ「けいおん!」みたいに「Free!!」とでもすればいいじゃないか、と憤慨していた。

 いや、まあもろもろ商品展開の必要上、前作とのわかりやすい区別が必要なのはわかる。ようは私は、彼らの夏が陳腐になってしまうのをおそれていた。わいわい馴れ合いの仲良しごっこで最後の高校生活を過ごして、おとなになって「あの夏は楽しかったな」なんてビールのみながら「いい思い出」として語りあうようなことはしてほしくなかった。

 べつに思い出を振り返るという行為自体には是も非もない。しかし、わたしは、わたしたちが見届けてきた夏が「いい思い出」になってしまうことへの危惧をいだいていた。彼らの人生にとってあの夏が「永遠」に、つまりピークになってしまったらどうしよう、と、おせっかいにも思っていたのだ。

 彼らの人生にとって、という言い方は正確ではないかもしれない。 正確には、橘真琴の人生にとって、だ。

 Free!の主人公は七瀬遙だ。物語は遙にとって何らかのかたちで「未来」のあるラストを迎えるのだろうと、すくなくともそこは安心していた。そして凛は才能のある側の人間であるし、渚や怜には「水泳」のない人生を送ることができる安定感が最初からあった。

 問題は橘真琴である。 

 真琴には、水泳を続けるには才能があるようには思えなかった。 そもそも、彼が彼自身として水泳がそこまで好きなのだとは思えなかった。 遙や凛が「仲間と泳ぐ」ことを大切にしつつも第一に「泳ぐ」ことに魅入られていたのに対し、真琴はあくまで「仲間」から入っている。

 「仲間」というか、「遙」からだ。 しかし真琴にとって彼と遙と水泳は不可分である。だから、水泳を離れることは遙と離れることであり、それは彼という人間のアイデンティティにかかわることに思えた。

 結果としては、一応遙と真琴は別々の道を歩むことになったのだけど、真琴と遙は同時に上京し、2人は離れることはなかった。 同じバトンをつなげる仲間でなくなったが、2人の関係はこの「夏」で終わらず、続くことになったわけだ。

 正直、それってどうなんだろうという気はめちゃくちゃするのだが、真琴が「それでいい」と言っているのだから、彼らの人生の部外者にすぎないわたしがあれこれ言う資格はないのかもしれない。

 わたしは本来、自分のすきなキャラクターが自立する過程や、反発しあっていたり共依存などあまり健全とはいえない関係にある2人が関係を新しくしていくようすが描かれるのが好きだ。

 だから橘真琴さんにも最初はそれを望んでいたのだけど、1期はそうなる気配をみじんも感じさせず終わったし、2期も結局彼はそうしなかった。 わたしはそれに対してがっかりすると同時に、ほっとしてもいる。

 というのも、真琴の場合は、やっぱりどうしても「遙」を離れては、生きられない人だと思うからだ。遙と離れた真琴は、まずまちがいなくビールを飲みながら「高校生の夏は楽しかったなあ……」なんて会社の部下の女の子相手にくだを巻く男になってしまったことだろう。いや、っていうか死んじゃうんじゃない?って思ってた。というかそもそも、遙のイマジナリー・フレンドで、遙にとって真琴がいらなくなった瞬間に消えてしまうんじゃない?くらいのことは思っていた。

 だからといって、「遙と離れても大丈夫な真琴」というのを描かれてしまうのもやっぱり違った。 真琴が、「遙といっしょにいたい自分」を貫いたというのは、それはそれですごいことだと今の私は思う。真琴は遙のようには泳げないし、凛のように遙のライバルになることもできない。それは、本当はものすごく重く彼にのしかかってもおかしくない事実だ。そういう自分の才能のなさをつきつけてくる人と、それに代えても一緒にいるために、彼はさまざまな折り合いをつけて、生きているのだ。

 別に彼は彼の人生を生きられていないわけではなく、むしろそれこそが、ものすごく「橘真琴らしい」人生なんだと思う。橘真琴は1期の1話から2期の最後まで徹頭徹尾橘真琴でありつづけた。ある意味では、彼がFree!一頑固な男なのではないかという気すらする。そういう、外見からはうかがいしれないくらいの「頑なさ」に、むしろわたしは魅了されているのかもしれない。

 だから悔しいけれど、わたしはまだまだ橘真琴にとらわれているし、彼がわたしの期待を裏切って、永遠に「橘真琴」を貫いていくだろうことを楽しみにしている。 願わくば、彼の人生の夏が、永遠に更新されつづけますように。 でも、やっぱ紘子監督はちょっとオモテに出て説明してください!!!という気分にもなってるよ!!!!!

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※過去の記事ですが、11月17日が彼の誕生日ということで、UPしました。