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「牯嶺街少年殺人事件」A Lollypop or A Bullet

普段なら、どれだけ自分が興味のありそうな筋書きの映画でも、上映時間が3時間以上あるとわかれば躊躇していた。それに、映画の教養がないのでエドワード・ヤンの名前も「牯嶺街少年殺人事件」の名前も知らなかった。それでも、別に知っていたわけでもない"巨匠"の4時間弱もある作品を観に行ったのは、ポスターで見た少年少女の横顔があまりにも美しかったからだ。台湾という国は好きで、すでに3回は旅行に行っているのと、他に興味があると言っている友人がいたのにも後押しされ、水曜の夜、レディースデーにシネマート新宿に向かった。待っていたのは、思っていたのと全然違う4時間だった。

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「殺人事件」という言葉の剣呑さを忘れてしまうほどに美しい横顔をしていたポスターの少年・小四と、少女・小明。間抜けな私はすっかり騙されて、切なくて美しい少年少女の恋物語が展開されるのかと思いこんでいたのだが、まあたしかに二人は恋人関係になったりもするんだけど、蓋を開ければ、最初から最後まで、決してわかりあうことがなかった。

大陸から渡ってきた、肩身が狭くて真面目な公務員の父と気の強い元教師の母に育てられた小四(シャオスーはあだ名。本名はチャン・チェン)は、5人兄妹の4男。演じるチャン・チェン(役者の名前と役名が同じ)の顔はどこまでも端正でとても聡明そうに見えるが、両親の期待にこたえられずに建国高校の昼間部に落ちてしまった彼は、夜間部の不良グループ「小公園」とつるみ、リーダー・ハニーの不在で意気がっている男・滑頭を陥れ、ハニーの彼女・小明に恋をして付き合い、ライバル集団の襲撃にも参加し、ムカつく惣菜屋のオヤジが酔っ払っているのを後ろから石で殴ろうとし、校長に素行を注意されて我慢できずにバットを振るって退学になり、金が必要になれば母の大切にしている腕時計を質に入れ、その罪を兄にかぶせもする。

しかし、彼はわりきった不良にはなれない。滑頭を陥れるときは「女と逢引していたという噂を流す」という方法に出るし、ライバル集団を襲撃する際にも、自分はただ同行して様子を見つめ、息絶えたリーダーを観察するばかりである。バットで暴力を払うのも、「開き直った乱暴者」としてではない。最初は殊勝にうなだれていたのに、自分のせいで学校に呼び出された父親――以前は「学校の姿勢がおかしい」と校長に盾をついていた父親が、校長の前で身体をちぢこめてうなだれているのを見て、衝動的にやってしまうのだ。彼のやることなすこと全て衝動の爆発で、それは「心優しい青年が耐えかねて」というような美しいものではなく、「忍耐が途中で切れた、ふわふわした衝動の発露」に過ぎないように思える。「キレやすい10代」という言葉で片付けてしまうこともできないくらい、もっとボンヤリしていて、どっちつかずの不穏さがある。惣菜屋の親父を石で殴ろうとして、自分が殴る前に水辺に落ちてしまった親父を慌てて助け、結果的に親父から感謝される……というシーンにも、彼の不穏な曖昧さがひしひしとあふれている。彼が、台湾や家族といった、自分を取り巻く世界すべてを愛し憎んでいることだけはひしひしと伝わってくるのだけど、一体それらに対して「自分がどうしたいのか」が見えてこない。だから、次に何が起こるのかわからなくて怖い。

端正で聡明な顔立ちと、彼の内側のふわふわした不穏のアンバランスさは、最終的に「小明殺し」というかたちで爆発する。自分でもよくわかってないものを、小明にわかってほしかった、そして自分も小明をわかってあげたかった小四は、その小明から手ひどく拒絶されたことで絶望し、彼女を殺してしまうのだ。いや、よく考えたらあれだって「絶望」なんてはっきりした言葉にしてはいけない行動だったように思う。自分の手で恋人を殺してなお、彼はどこまでも世界から疎外された傍観者だった。逮捕後のシーンでも、小四は不良グループの一員として警察に認識されていなかったことが描かれている。彼は何者にもなれずに、刑務所に入る。

小明――汚れも知らぬ顔をしながらさまざまな男の間を行ったり来たりし、最終的に小四から彼の友達に乗り換えたがために殺されてしまった彼女――と出会わなければ、小四は幸せに暮らせたのだろうか。あるいは小明が彼の友達に乗り換えず、小四の孤独を受け入れていれば、幸せに暮らせたのだろうか。私にはわからない。最後まで観ても、私には彼の孤独が底なしにふわふわした綿菓子にしか見えなかったからだ。「生ぬるい」という意味ではなく、もう本当にどうしようもないものにしか見えなかった。一見『君の名は。』みたいなボーイミーツガール映画に見えるポスターだけど、小四と小明の孤独の距離は決して縮まらなかった。よく考えたらポスターの二人の間にも距離があった。

小四の中の「ふわふわ」はきっと私たち一人ひとりの心のなかにもひそんでいて、でも自分をいい意味で騙して、もっと確固たる方向性のある地に足のついた絶望として処理していくということを日々やっているというだけなのかもしれない。個人的に桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』を思い出したので、こういうブログタイトルにしたのですが、しばらく前に読んだので、読み返したら全然的外れな可能性はありますね。

うーん、こういうことよりもっと書くことがある気がするのですが、すごく「映画」だったのは間違いないなと思いました。1カットたりとも美しくないシーンがなかった。いや、「映画」って何なのか全然わかってないけど。他の人の素晴らしい評をむしろ読みたくて探しているのですが、なかなか見当たらない。それにしても「A Brighter Summer Day」という英題はずるすぎるのではないでしょうか。観てよかったです。