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飲みすぎないように文章を書く

誰かの記憶に残るということ−−瀬戸夏子×吉田隼人「早稲田から眺める現代短歌クロニクル」

わたしには、西武新宿線に対してのほとんど合理的でないトラウマがあって、それに付随する苦手意識を強く抱いている。

 

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たとえば、大学時代にちょっとだけ付き合っていた男性のバイト先が、今はなきあおい書店高田馬場店だったけれど、3ヶ月でサクッと別れたこととか。

たとえば、社会人になってから付き合った男性の住居が西武新宿線沿線在住で、一時期毎日のように電車に乗り、ときには西武新宿駅PePeの花屋で薔薇を買って行ったことすらあるが、2ヶ月でサクッと振られたこととか。

たとえば、中井駅で一緒に美味しいもつ焼きを食べたことのある元交際男性が、後日Twitterで結婚生活について愚痴っているのを目撃したこととか。


もはやおそろしいまでの言いがかりというか、逆恨みでしかないのだが、なんとなく、私の数少ない交際についての苦い記憶は、西武新宿線によって呪われているような気がしており、その後とあるテレビ番組にマンガに詳しいライターとして呼ばれ、複数回の打ち合わせに参加し、当日もリハーサルあわせて3時間近く拘束され、さすがに一回目は楽しかったしいいけど二回目呼ばれたときには、車代(ギャラ)的なものをいただけませんかと提案したら、『高田馬場のスタジオまでの交通費を後で請求してください』と言われたときにも、「西武新宿線が悪い」と思ったくらいだ。

 

というわけで−−上記もろもろのエピソードに一切早稲田生は出てこないのだが−−、限りなく近隣である東新宿というエリアに住みながらも、極力高田馬場にある大学には近寄らずに暮らしていたわたしが、この土曜に、雨の中バスに乗り、まさに早稲田!なエリアに位置する「古書ソオダ水」にお邪魔したのは、サークル「早稲田短歌」出身の歌人であり、先日下北沢B&Bにてトークイベントをご一緒した瀬戸夏子さんの、新刊刊行記念トークイベント第三弾「早稲田から眺める現代短歌クロニクル〜「早稲田短歌」「町」「率」から現在まで〜」に参加するためだった。

前々から行きたいと思っていたが、結局当日飛び入り参加することになった同イベント、開演15分前に「まだ席ありますか〜」と弱々しく声をかけたら普通に満員御礼で、一人だけ立ち見というちょっとはずかしい事態になり「挨拶したら抜けるか……」と思っていたのだけれど、誰か欠席した人がいたのか、一つだけ椅子が空いていて、途中で座らせていただくことができ、2時間たっぷりと、瀬戸さんと、サークルの後輩であり1989年生まれの歌人吉田隼人さんのトークを堪能することができた。

おおきくわけて前半は、瀬戸さんが見てきた短歌業界の全体のトレンド−−短歌同人とネット短歌が絡み合いながら隆盛するも、なかなか歌集は出ず、「データ」を収集しなければならなかった時代から、「文学フリマ」によって同人誌をつくるサークルによる短歌が盛り上がり、また書肆侃侃房の登場によって、(絶版はありつつも)「紙」で歌が手に入るようになった時代に変わったという大枠の話を、後半は、その「文学フリマ」と「紙」の時代の中で存在感を持つようになった学生短歌、ひいては「早稲田短歌」、そして瀬戸さんが参加していた同人誌「町」と「率」についてという、ディテールにフォーカスした話が展開された。わたしは短歌にも短歌業界にも一切精通していないのだけれど、こうした創作周辺の枠組みの話を通じて、流通する「短歌」のフォーマットや、「歌人」たちのマインドにもこういう影響があったと思う、そして瀬戸さんはその中でこういうふうに歌作をしていたという話が、お二人のそれぞれ挙げた「2000年代以降の短歌20首」を引きながら広がっていったので、手元にくばられたペーパーに記載されたその20首をヒントに、頭のなかでお二人の言葉を咀嚼することができて、とても刺激的な2時間だった。

 

Twitterでもメモっていたのだけれど、印象的だった内容は大体こんな感じ。
(あくまで私のメモ書きなので、当日のニュアンスと異なる可能性大ですご注意を)

伊藤計劃に影響されたのかやたら「傭兵」的な言葉が使われてた時代があった

・でもここまで現実が切迫してると、とても簡単には扱えない言葉が増えた

・(瀬戸さんは)抑圧がないと歌がつくれない

・「手紙魔まみ」に衝撃を受けて歌をつくりはじめたので、穂村弘と(モデルとなった)雪舟えまの影響をめちゃくちゃ受けている

・(短歌20首ペーパーにふれながら)雪舟えまの「百年」と東直子の「燃えるみずうみ」の強さから逃れられなくて、それの真似になっちゃって、そこから脱しようと苦しんでた

 黎明のニュースは音を消してみるひとへわたしの百年あげる(雪舟えま)

 好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ(東直子

 ではなく雪は燃えるもの・ハッピー・バースデイ・あなたも傘も似たようなもの(瀬戸夏子)

 

 

・歌集を2つ出して、ある程度自分の好きに歌をよめるようになったかもと思ったら、逆に歌をつくるモチベーションがなくなったかも
・「言いさし」「欠落」が短歌の妙と言われるし、穂村弘は「5W1Hを明確にしすぎない」ほうがいいと繰り返しているが、正直(瀬戸さんは)言いたいこと多すぎて、できない
・ってか「言いさすことで、そこの欠落に読み手が自分を代入してお気持ち共感する」みたいなのが許せない、短歌を「お気持ち共感受容体」にしたくない

・「情報量が多すぎるから短歌やめろ」と散々言われた

・でも塚本邦雄はめっちゃ情報量詰めて成功してる、なのでめちゃめちゃ(塚本の歌を)勉強した
・我妻俊樹は塚本邦雄タイプ、フラワーしげるは情報を詰めない
・塚本のもう一つの特徴は、シニフィアン(意味しているもの)=シニフィエ(意味されているもの)が離れていること

・現代短歌の世界では、「なんで?」って思うくらいシニフィアンシニフィエが癒着している人が多い
・現代詩はむしろシニフィアンシニフィエをこれでもかというくらい離そうとする

・(瀬戸さんは)離したいほうなので、「現代詩短歌」って100回くらい言われた

・偶然短歌botがおもしろがられてるけど、心に残ってる文字列は一つもないはず
・短歌の世界は「つくる」人より「よまれたい」人の世界
・歌を作るAIではなくて、歌の価値判断ができるAIができたら本当の脅威

・(20首にふれながら)歌作を短期間でやめてしまった人の歌が、なぜかネットでバズったりすることもある。

 問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい(川北天華)

 実はこの「問〜」形式の短歌はたくさんあるのだけど、この川北さんの歌がなぜバズったのか?がわかる、事前に価値判断できるAIができたら、短歌も人間も終わっていいと思う

・(瀬戸さん自身は)過去に女性同性愛についての連作をうたって、その後いなくなってしまった觜本なつめの一首を、折に触れて思い出してしまう

 赤く熱おびた木の実を口うつし おまえと子宮を交換したい(觜本なつめ)

・昔は「歌のわかれ」などといって、歌作りをやめることがものすごく重大な決意というか感傷的なものとしてとらえられていたが、短歌は「趣味」で「座興」なので、フェードアウトしたっていいし、いまはフェードアウトした人の歌でも、何かしらのかたちで「残る」

・「かくれんぼ同好会に行っちゃったやつの歌、すごい良かったんですよね」(吉田)

・「できることなら、定家みたいに1000年みんなに覚えてもらいたい」(吉田)という考え方もあるだろうけれど、(瀬戸さんは)自分にとっての觜本なつめさんの一首のようなかたちで、自分の歌が残ってほしい

 

短歌に限らず、なにかを「作る」「発信する」ことに楽しみを覚えている人には、とても響く内容が詰まっていて、本当に、行ってよかったなあと、一言一言をかみしめるトークイベントだった。なんとなく抱いていた苦い記憶たちが、良い「記憶」の話で塗り替えられたという点でも。

そして終了後にご挨拶した「短歌は記憶されて、よまれないと意味がないので、ぜひひらりささんの好きな歌があったら、紹介してくださいね! 」とありがたいお言葉をいただいたので、ペーパーに書かれていた、20首×2のなかから、個人的に「好きだな」と思ったたものを挙げておきます。

 

晩年は神秘主義へと陥った僕のほうから伝えておくね (佐久間慧)

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい (川北天華)

かたつむりって炎なんだね春雷があたしを指名するから行くね (雪舟えま)

夏の井戸(それから彼と彼女にはしあわせな日々はあまりなかった)(我妻俊樹)

ずっと味方でいてよ菜の花咲くなかを味方は愛の言葉ではない (大森静佳)

 

 

とにかく情報量が多い、以下2冊の瀬戸さんの本もおすすめです。 

 

現実のクリストファー・ロビン 瀬戸夏子ノート2009-2017

現実のクリストファー・ロビン 瀬戸夏子ノート2009-2017

 

 

 

かわいい海とかわいくない海 end. (現代歌人シリーズ10)

かわいい海とかわいくない海 end. (現代歌人シリーズ10)

 

 

追記:6月24日に、ご指摘頂いて、短歌引用の誤記を修正しました。失礼しました!