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恋愛と自動車運転の違いーー『21世紀の恋愛 いちばん赤い薔薇が咲く』

恋愛が苦手だ。

恋愛は自動車運転に似ている、と思う。私は大学時代に運転免許を取得しているのだが、その後一度もハンドルを握ったことがない。アクセルとブレーキを踏み分けながら、サイドミラーやバックミラーで周囲に気を配り、車間距離を意識して、右折の前にはできるだけ道路の中央に寄りつつ、ハンドルを通じて意識を車幅に及ばせ、コントロールする。普段、自分の身体のサイズ感を把握しきれずにぶつかりまくって青あざをこしらえている自分にとって、こうした細かな項目群を滑らかな一連のアクティビティとして無事故無違反で行い続けるのは100パーセント無理だろうと、教習と試験を通じて完膚なきまでに悟った。っていうか私なんで免許取れたんだろう、と不思議なくらいだ。

恋愛にも同じ厄介さを感じている。アクセルとブレーキの踏み方もいまだにわからないし、無駄に高速道路に乗ったきり降りられなくなるし、頻繁にパニクってクラクションを鳴らしまくる。厄介なのは、自動車運転には自動車というツールが必要だし、一度やらないと決めたら10年くらいは避けて暮らせるのに対し、恋愛は、注意して避けていたつもりが気づいたら道路の上を爆走している場合があることだ。なんなら飲酒してるのにハンドル握ってるパターンも多い。ちゃんと刑罰で規制するか、教習を義務付けて欲しいと思う。

さて、上記のような苦手意識があるからこそ、恋愛コンテンツは摂取する方だし(ボーイズラブもそうですね)、「うまい恋愛」と「うまくいかない恋愛」、「恋愛をうまくできる人」「恋愛をうまくできない人」の違いについて関心がある。最近も、単著を出すのに合わせた「女性向けエッセイ」の研究の一環で、いくつか恋愛ブログや恋愛相談アカウント、恋愛指南本などをチェックしていた。「LINEを通じたコミュニケーションの極意」が必ず語られるようになっているのも変化として面白かったのだが、一番興味深かったのは、「幸せな恋愛は、自分で自分を愛するところから生まれる」というメッセージで締めるコンテンツが非常に目についたことだ。

もちろん以前から「一人でも楽しく暮らしている女性が一番モテる」「執着しない女が一番モテる」「振り回されるのはやめて振り回すことで溺愛される!」「愛するより愛されろ」的な言説は恋愛指南本のスタンダードとして存在していたのだが、そうしたメッセージングがもっと「自分軸」「自己肯定感」「セルフラブ」の文脈の言葉で発されるようになった印象がある。全員が同じ目的地に向けて最短距離で向かうべき、という規範が薄まっているからこそ、小手先のドライビングテクニックではなく、ハンドルに添えた手に力を込めすぎるな、なんならその車は降りたっていいという気持ちでやれ、という自己啓発が人気なのかも知れない。実際、恋愛をしたい、という気持ちから、結婚・出産・セックスなどが取り除かれてしまえば、他者を通じて自分のアイデンティティを形成したい・承認を得たい、という欲望が大きいのは間違いなく、前者3つの比重が社会の中で軽減するにつれ、指南本の中にアイデンティティを慰撫する言葉が増えるのは納得だと思う。

ただ、一つ疑問もあった。そうしたメッセージは、もはや「恋愛指南」ではなくなっているのではないかということだ。「苦しい恋愛はやめよう」というのは、恋愛という、現代において「してもしなくてもいい」ことに合理性を持ち込むロジックだからだ。徹底的に合理化された恋愛は、恋愛と言えるのだろうか?

などと考えていたときに人から薦められたのが、『21世紀の恋愛 いちばん赤い薔薇が咲く』だった。

 

大学で政治学、哲学、文学などを専攻した後に独学でマンガを学んだという非常にユニークな経歴の著者による本で、中身も全てマンガである。ただ、フィクションではなくて、著者のありとあらゆる知識が総動員された「学習マンガ」だ。特に、エヴァ・イルーズの「Why Love Hurts」とビョンチョル・ハンの「The Agony of Eros」の理論が下敷きになっている。

大枠としては「レオナルド・ディカプリオは、なぜ若い水着モデルを取っ替え引っ替えするのか?(彼は恋愛をしていると言えるのか?個別の他者に何も感じていないのではないか?)」という問いを皮切りに、現代人、主にヘテロセクシュアルがなぜ恋に落ちにくくなっているのかをあれやこれやと洞察していくマンガで、全編とっても面白い。私が先ほど書いたような問題意識ーー徹底的に合理化された恋愛は恋愛と言えるのか?にもきちんと触れられていた。97ページから始まる第二章「あんたのかわりはすぐに見つかる」だ。

第二章は、ビヨンセの「Irresplacable(替えがきかない)」という曲を導入に始まる。タイトルに反して、「新しい彼なんてすぐできるわ」「自分のことをかけがえがない人だと思うのはやめてよね」という内容の曲なのだが、本書ではこの曲に象徴される考え方を「あんたのかわりはすぐに見つかる主義」と名付け、物事の決定権はあなた(女性)にあり、大切なのは何よりも自分自身(女性)だ、恋愛のせいで何かを我慢しているならそれに抵抗しよう、と呼びかける「自己強化フェミニズム」の一種だと定義している。なるほど、日本における恋愛指南本のコンテクストにも同様のフェミニズムが侵食しているのだなと納得できた。

その上で本書は、こうした自己強化フェミニズムは、不幸な恋愛と自己責任の結びつきを強化することによって、むしろ個人を追い詰めてしまうのではないかと提示しているのが、面白かった。「あんたのかわりはすぐに見つかる主義」は、後期資本主義が生み出した考え方であり、恋愛の本質を損ねるものではないか(つまり”幸せな恋愛”につながるものではない)というのが筆者の見解だった。安全運転第一ではなく、無駄や失敗も織り込みながら行われるのが、やはり恋愛の面白さなのだ。そう考えると、恋愛と自動車運転はやっぱり違うのかもしれない、と思わされた。もちろん、事故りすぎているといつか死ぬこともあるし、周囲としては迷惑だろうし、ビヨンセJay-Zと直ちに別れるべきだと筆者も言っているが……。

 

最近発売したばかりの「現代思想 2021年9月号 特集=<恋愛>の現在 -変わりゆく親密さのかたち」でも、本書や、下敷きになっている2冊を参考文献として挙げている論考があったので、現代思想が面白かった人は本書も合わせて読むといいと思う。

 

 

ちなみに、現代思想に寄稿している谷本奈穂さんの「恋愛の社会学」も良かったです。