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飲みすぎないように文章を書く

しゃべってるのに伝わらないーー『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』(サリー・ルーニー)

カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ

雑誌の「百合」特集で取材を受けた。最近自分の半生を振り返って、私って10〜20代の時何してたんだっけ、何もしてないな、意識でも失っていたのか……?と落ち込んでいたのだが、取材のおかげで、そういえば百合とBLを無限に読んでいたのだ、と思い出した。

当時、百合とBLに耽溺したのは、ヘテロセクシュアル恋愛規範の枠組みがもたらす苦痛からの逃避の意味合いが大きかった。でも同時に、人間の分かり合えなさと存在の心許なさが、「恋愛」を通じて描かれることに魅力も感じていたんだろうなとも今さら気づいた。恋愛小説が好きだからこそ、百合とBLを読んでいたのだ。

『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』は百合でもBLでもない。しかし、世間で当たり前とされてきたものーー1対1のパートナーシップに基づく恋愛規範、家父長制に紐づいた「家族」という共同体、後期資本主義に支えられた上昇志向ーーへの疑念を持ちながらも、それらを完全に捨てては生きられない人たちの関係の揺れ動きを通じて、人間の分かり合えなさと存在の心許なさを描く、とても切ない恋愛小説だった。「切ない恋愛」小説、ではなく、切ない「恋愛小説」だ。

 

 

本書は一人称で進行する。語り手のフランシスは、ダブリンで大学に通いながら、詩人としての活動を行っている21歳。同い年の同性で、高校の時の恋人でもあるボビーとともに詩のパフォーマンスを行っているうちに、二人の活動に目をつけたジャーナリスト・メリッサから、取材をしたいと言われる。裕福とはいえない家庭で育ったフランシスは、世間に認められた彼女と、その夫であるハンサムな舞台俳優・ニックのステータスや生活にコンプレックスを感じつつも、12歳歳上で既婚のニックに惹かれていく、という筋書きだ。

これだけ書くと、そこまで特別な作品には読めないかもしれない。かつて付き合っていた同性の恋人が親友になっている、という設定には新しさがあるものの、基本のストーリーラインとしてはハンサムな既婚歳上男性とのロマンスがメインであるように読める。実際、小説の軸となっているのがフランシスとニックの関係であるのは間違いない。しかしその軸は縦糸の一本にすぎず、フランシスとボビー、メリッサとニック、メリッサとボビー、ニックとボビーといった関係の糸と絡み合い、途中、ほつれたり切れたりする。そこに、フランシスの父母に対する葛藤や、中盤に発生する身体的なコンプレックス、人間関係で傷つけられ傷つくことへの恐れ、金銭的な困窮と才能の用い方、などにまつわるエピソードが起伏をもたらしている。

恋は生活に勝たない。関係は一定に定まらない。未来は何も決まらない。自分がどうしたいかもわからない。どこにも行けない閉塞感が終始ただよっていて、そこにほんの少しのもがきと希望があって、でもやっぱり出口がないままで終わる。文章の大半は登場人物たちの会話、電話、チャットを通して構成されているのに、あきらめていて、ものしずかだ。本書の文体は、会話文をダブルクオーテーションで括らず、地の文と続いた形で綴られているのが特徴なのだが、この、饒舌さと反対のしずかな断絶感を出すためのものではないかと思った。奥の奥には、意識的なおしゃべりには表出しない、かすかに脈打つ何かがある。

これを「Snapchat世代のサリンジャー」と銘打ちたいマーケティングサイドの気持ちもわかるが、それに反した「自分以外の誰かを代弁するつもりはない」と語るサリー・ルーニーの言葉は本心なんだろうとも感じる。フランシスのキャラクターも、置かれている状況も、読者が自分と重ねることができないほどにドラマティックだ。それでも、ルーニーが描くフランシスの振る舞いや物語世界の情景のはしばしに、なぜこんなにも、つながらないと生きていけない私たちの息苦しさをすくいとってくれるのだろう、と思わせられた。

私は決まった単語やフレーズを検索して、出てきた会話だけを読むことにした。最初に「愛」で試してみると、六ヶ月前のこんな会話が出てきた。…(中略)…この会話を読んだ後、私はベッドから起き上がり、服を脱いで鏡を見た。衝動のようなものに駆られて定期的にこうするのだが、いつもと特に変わったところは見られなかった。

 

まるでただの知人みたいに、特に愛情や憎しみを込めることもなく彼女がリースの名前を口にするのを見てそれから何ヶ月も、そしてきっとこれからもずっと、いつかボビーが自分の名前を同じように口にするのだと思って私はおびえていた。

 

これを聞くと私はゆっくりと顔から携帯を離して、それをじっと見つめた。こんなのはただの物体だ、何の意味もない。ニックの声が耳に入った。フランシス? でも他の物音と同じで、かすかにしか聞こえてこない。通話を切らないまま、そっとベッドサイドテーブルに携帯を置いた。ニックの声はザーザーという雑音に変わって、言葉として意味を為さなくなった。私はベッドに座ってゆっくりと息を吸って吐いたが、ゆっくり過ぎて呼吸をしていないのも同然だった。


ちなみに原書には「現在時制(Present Tense)」で書かれているという特徴もあるらしい。ちなみに(『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』の原著はそうではないが)、第二作である『Normal People』には「現在時制(Present Tense)」で書かれているという特徴があるらしい。

newrepublic.com

www.tokyobookgirl.com

英米文学にわかすぎて、今回初めて知ったのだが、英語の小説って基本的に時制統一で書かれて、「過去時制(Past Tense)」が基本なんですね。ただこれはルーニーだけの文体というわけではなく、2010年代に入ってから現在時制の小説が増えており、ミレニアル世代のせいだとか、いろいろ議論があると知って驚いた。

nojobforsissies.blogspot.com

 

www.theguardian.com

 

実は1月に読んだロマンス小説『赤と白とロイヤルブルー』の訳者あとがきにも「現在時制で書かれているのが特徴的」というコメントがあったなあと思って、『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』の後に読み返していた。本作と良い意味で全く異なる、ミレニアル世代ならではの文学だと思ったので、別途書きたい。

 

※追記:
訳者の山崎まどかさんよりご指摘いただいた点(カンバセーションズ・ウィズ・フレンズは、現在時制ではない)を修正しました。また、言及のある記事も紹介させていただきました。