It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

その星空はほんものか?――「プラネタリウム」「ドリーム」を観て

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中高のころ、天文部に所属していた。

天文部といえば天体観測だろうと思われるかもしれない。実際、うちの学校にはかなり立派な天体ドームが存在しており、そのなかには京都の製作所から購入した(そして故障すると京都の製作所に出張修理を頼まないといけない)立派な天体望遠鏡があり、天体観測のできる環境はととのっていた。

しかし、トーキョーの空は狭くてほとんど星は見えず、また中高生が夜遅くまで勝手に残っているわけにはいかない。学校の天体ドームを使って夜の観測ができるのは、冬の一時期、学校に申請して行う「観測会」の日だけで、立派な天体望遠鏡はもっぱら昼間の太陽黒点の観測にだけ使われていた。

それでは天文部が普段何をしていたかというと、夏の流星群観測の準備と、秋の文化祭の展示準備、そしてプラネタリウムの練習だ。天文部の活動は放課後の理科室で行われていたが、理科室の横にこじんまりと存在する理科準備室の小部屋が部室代わりになっていて、そこに小さくて重い天球機と、10人程度が身を寄せ合って入ることのできる手作りの白いパラソルと、星座のイラストがプリントされたプラスチックのスライドと、手持ちの投影機が置いてあった。

ようするに、天球儀のスイッチをつけて星空をパラソルにつくりだし、その星空に、そのときそのときの解説にあわせながら、投影機を使って個々の星座をうつしだすというきわめてアナログなしくみである。部員はローテーションで小部屋に入ってパラソルのなかで身を寄せ合い、文化祭でのプラネタリウム上映に向けて、ナレーション担当とスライド担当それぞれの役割の両方をできるように練習し、当日は二人三脚でお客さんをもてなすのだ。15分程度のプログラムはきわめてオーソドックスなものだが、教わるのも口述伝承だし、当日もカンペなしだし(だって部屋が真っ暗だから…)、中学生にとっては結構大変な訓練だったと記憶している。プラネタリウムの練習とは別に、合宿に向けた「星座略号」の暗記テストというのもあり、とにかく真面目な子の多い部活だった。

長い間上の代から下の代へと継承されてきたプラネタリウムのパラソルは、すでに「白」というよりもうす〜い灰色に近く、明るい灯の下で見るとかなり貧相な感じだったが、ひとたび電気を消して投影機をつけると、そこは一瞬で小さな星空へと変わる。小さくて素朴なプラネタリウムのなかで、私はその一瞬の変化がいちばん好きだった。

さて、前置きが長くなったが、映画「プラネタリウム」と「ドリーム」である。この2つの映画は、まったく関係がないし、とくに関連して語るべき演出や演技があるわけではないのだが、偶然同じ週に鑑賞したことで、まとめて語るだけです。ネタバレ多少あるので気をつけてください。

プラネタリウム」は、簡単にまとめると、「降霊術ができるという謎めいた美人姉妹にメロメロになってしまったフランスの映画プロデューサーが、降霊術を映画にしようと七転八倒する」話である。

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http://planetarium-movie.com/

とにかくナタリー・ポートマンとリリー・ローズ=デップが風呂に入っているビジュアルが美しすぎて魂を抜かれそうになり、公開前から楽しみにしていたのだが……風呂に入っていたのがマジで3秒くらいだったのでびっくりしました(いや別に風呂のシーンだけを楽しみにしていたというわけではないのですが)。

そして、「謎めいた美人姉妹」の「謎」にドキドキさせられるのかと思いきや、映画はほとんど姉・ローラ(ナタリー・ポートマン)の視点ですすみ、むしろローラとケイトの人生が、彼女たちにメロメロになった映画プロデューサー・コルベンの暴走により、どんどん転がっていくという流れだったので、びっくりした。コルベンの暴走というのも、ローラとケイトが一方的にコルベンを翻弄するという話ではなく、ローラはコルベンを好きになっちゃうし、コルベンに進められるままに女優業をはじめちゃうし、しかしコルベンはケイトにお熱で(降霊術ができるのはケイトなのだ)、ローラが見ていないあいだにこっそりケイトと2人で降霊術をおこない、ローラが激しい嫉妬に陥ったりもするのである。結局いろいろあるが、「降霊術がウソかホントか」「姉妹はペテン師か」が厳密に解き明かされることはなく、物語は、女優業を続けるローラが、ニセモノの空を見上げてニセの愛のセリフをつぶやくことで幕を閉じる。

「映画」と「降霊術」という2つの「ニセモノ」のモチーフを軸に、いろいろな「ニセモノ」が出てくるという趣向自体はなんとなくわかるのだけど、すべてのモチーフがいまいち連関しきっておらず、この映画自体がたちの悪いチグハグを詰め合わせた「映画モドキ」のような仕上がりになっており、「う〜〜〜〜〜ん???」となるんだけど、ナタリー・ポートマンとリリー・デップの美しさはホンモノだし楽しめたからいいか……ああいうお洋服着たいな〜〜〜と、2人の着ていた衣装について調べているうちにモヤモヤも忘れてしまう……というような作品だった。

それに対して、映画「ドリーム」である。「彼女たちのアポロ計画」というサブタイトルが公開前から物議をかもした結果、「ドリーム」のみの邦題で公開された本作(原題「Hidden Figures」)は、ノンフィクション小説「Hidden Figures」を原作とし、映画でも冒頭で「実話にもとづく(based on a true story)」ことが大きくテロップされる。

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1950〜60年代のNASAで「コンピューター(計算係)」をしていた黒人女性たちが、自己の能力をまじめに真摯に発揮していくことで、周囲も「していないつもりだった差別」の存在を自覚し、彼女たちを登用し、ジョン・グレンによる有人宇宙飛行(マーキュリー計画)を成功させるという話だとあらかじめ聞いて鑑賞に臨んだのだが、まさにその通りの映画だった。

「ええっ!?」も「う〜〜〜〜〜ん???」もなく、純粋に彼女たちの健気さと明るい努力に泣き、エンドロールでうつしだされた実際のキャサリン、ドロシー、メアリーの姿とその後のキャリアを聞いて泣き、すがすがしい気持ちで劇場を出たのだが……「もっとこの人たちのことを知りたい」と思ってググってみてびっくりした。映画化にあたり、事実関係の重要な点でいくつかの脚色が加えられていることを知ったのだ。

たとえば、以下のとおり。

・映画では1961年のNASAを白人用施設と黒人用施設に分かれている状態として、キャサリンが黒人女性用トイレへの行き帰りに悪戦苦闘しながらマーキュリー計画に貢献するさまが描かれていたが、NASAでは1958年に施設の分離は撤廃されている。

・映画では、ドロシーがスーパーバイザーへの昇進を却下され続けていたところを、導入されたばかりのIBMメインフレーム機の取扱いを独学で習得することで能力を認められるというストーリーが描かれるが、実際のドロシーは1948年にはスーパーバイザーに昇進している。

私からすると、この2点は今回の映画におけるかなり重要なポイントであるように思ったので、「1961年の時点ではすでにそうではなかった」ということを知ってかなり「う〜〜〜ん???」と思ってしまった。

もちろん、「計算手」として扱われ「研究者」として認められなかったキャサリンの苦労や、ともに同じ仕事をしているのに「分離」させられているつらさ、差別していないつもりで差別している人たちの無思慮、といったことは、本当に存在していたことだと思うし、それを正面からきちんと描いている「Hidden Figures」の意義というのははかりしれないだろう。「実話にもとづく」からといってすべてが実話に忠実である必要がないし、映画として成り立たせるために脚色することが悪だとは思わない。「ダンケルク」も「ハクソー・リッジ」も「ハドソン川の奇跡」も、実話に基づいた脚色だらけの映画だったが、当然違和感はなかった。

しかし「ダンケルク」や「ハクソー・リッジ」、「ハドソン川の奇跡」といった作品と「ドリーム」が明らかに異なるのは、「ドリーム」のおもしろさが完全に「実話を描く」ことに依拠していることだ。そうした映画で、大きな前提が史実と違うときに、私は「そうだとしても、意義のある映画だし素晴らしいよ!」と純粋に評価していいのかがわからない。正直に言えば、「アポロ計画」というサブタイトルをつけることと、「1961年の時点では黒人用施設は存在してなかったけど、映画の構成上そういうことにする」のは、あんまり変わらないんじゃ……?とすら思った。サブタイトルの騒動があったからこそ、映画の構成に対しても少し残念な思いが強いのだ。

原作の時点でも、タイトルが「Hidden Figures(隠された人物)」であることに、それなりに批判があったようだ。というのも、NASAは彼女たち「計算手」の存在をこれまで隠してきたわけではなく、「ほかのNASA職員の多くの偉大な物語と同じように、(彼女たちの)物語も何年も語り続けていた」からだ。著者も「hidden」ではなく「unseen」が適切だったと認めているという。

「実話に基づくからって、フィクションはフィクションだってみんなわかってるよ」と言われてしまえばそれまでなのだが、「ドリーム」には「プラネタリウム」と違った意味での「ニセモノ」感があって(そこで描かれている「メイクアメリカグレートアゲイン」的なイデオロギーも含め)、それがちょっと残念だった。

フィクションで感動するのも、実話で感動するのも、どっちも「ほんとう」だと思うのだけれど、「フィクションまじりの実話」のフィクション部分で感動したときは、なんとなく「ニセモノ」な気がしてくるのはなぜなのだろう。

とりあえず原作の翻訳版を読んでみます。

 

参考:

https://newsphere.jp/culture/20170930-1/

https://www.smithsonianmag.com/history/forgotten-black-women-mathematicians-who-helped-win-wars-and-send-astronauts-space-180960393/

http://www.collectspace.com/news/news-010517a-hidden-figures-john-glenn-mystery.html

転職は、ある日ふと「落ちて」くる

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askで「転職を考えているのですが、ひらりささんが転職を考えたきっかけを教えてください」という質問をいただいた。

 

ask.fm

 

以下、もう少し丁寧に、就職時の経緯などもまじえながら整理しておく。

 

テキトーすぎた新卒での就職活動

私は現在ソーシャルゲームのプランナーをしているが、もともとはIT系ベンチャーに新卒で入社し、ウェブメディアの編集者をしていた。

2012年4月〜2015年12月なので、在籍期間は3年9ヶ月である。

 

以前のエントリでも書いているが、もともとは法科大学院に入るため、大学4年の12月まで試験勉強をしていたが、やっぱり出版業界入りたい……という気持ちが強くなり、大学院入試合格発表後に留年するつもりで就職活動を開始。いくつかの出版社の筆記試験、面接にすすむところまではやった。

しかし、就活の際にお話を聞かせてもらった現役編集者の人たちに、ことごとく「出版業界右肩下がりだよ」「ずっとここにいていいのかなあって私も思ってる」と言われて、「なんか中の人がそういうふうに言わなくて済む業界構造の変化にかかわれるようなことがしたいなあ」と思い始める。

その過程で、岡田斗司夫・福井健策共著の『なんでコンテンツにカネを払うのさ?』を読み、書評などを検索しているときに、前職社長のブログにたどり着いた。

 

なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門

なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門

 

 

たどり着いたらまさに出版業界の右肩下がりの構造を変えるためのビジネスを始めようとしているということだったので、もっと話を聞いてみたいな〜と思ってメールして会うことになったら、なぜかいつのまにか就職することになっていた……というのが1社目入社の経緯だ。「やっぱ就職しよう!」と思い切ったにしても何の就活生的スキルもなく自己分析もしていなかった私は「留年してもどこも引っかからなかったらどうしよう……」と人生五里霧中だったので、拾ってもらったことには恩義しかないし、1社めの選択自体はまったく後悔していない。真面目に就活をやりきっていないことにだけ、ちょっと負い目がある。

自分が入社時は役員以外の社員はゼロだったので新卒1号。退職時には20名程度になっていたはず……(うち編集は4名)。

 

つねに頭の片隅にあった「転職」

1社めの選択自体はまったく後悔していない……が、実のところ、転職自体は前職の入社1ヶ月目から、つねに私のなかにある選択肢だった。なんといっても、毎日怒られていた。社長がポンと私を採用してくれたのは「人手が足りない」&「東大生は仕事ができるはず(幻想)」のコンビネーションによる奇跡的な偶然だった。しかし……不幸にも(「当然にも」とも言う)私は飲み込みが悪く身だしなみもガリ勉オタク女であり気も利かなかった。ほんと〜〜〜〜〜に毎日怒られていました。

心がめげそうな日も多々あった。同期は一人もいないから比較対象がおらず、私が「この世で一番孤独で改善不可能な無能」だという可能性も否定できなかった。Google「新卒 1ヶ月 怒られる」「新卒 3ヶ月 怒られる」「新卒 半年 まだ怒られる」などで検索しつづけ、自分より先に同じ理由でYahoo知恵袋に質問している人(「入社して半年経つのにまだ怒られます。自分がダメすぎるのではないかと思って毎日憂鬱です」)を見つけては、「あ、他にもいるじゃん……よかった……」と元気を出していた。みんな新卒のときは即戦力になどならないものであるというのを(Yahoo知恵袋を根拠に)なんとか自分に言い聞かせ、1〜2年めをやり過ごした。

「この仕事向いてない気もするし、転職したほうがいいのかなあ」という気持ちはつねに片隅にあったが、人手がすさまじく足りないし目の前にある仕事を日々片付けていくのに手いっぱいで、具体的な行動にうつすところにはいかなかった。このまま「できない奴だから逃げた」と思われるのもイヤで、ぜってーーーーーーに「やるじゃん」って思わせてやるという気持ちも強かった。それに、向いていないかもしれないが、自分がかかわった企画が多くの人に読んでもらえたり、著者さんと一緒に新しいアイデアをつくりあげたり、というのは楽しいことだった。

 

直接のきっかけは「友人の転職」

そんな私の、「転職」に対するイメージが現実化したのは3年目のことである。社会人になってから知り合った同い歳の友人が転職したという話を聞いたからだ。「毎日怒られてつらい」とかそういうレベルじゃなくて、同じ世代が全般的に「今後のキャリア」や「自分のやりたい方向性」が見えてきて転職する時期が来たんだなというのを感じた。私も3年目にはさすがに毎日怒られなくなってきて、仕事を評価してもらえることも増えてきて、それは社長からだけじゃなくて外部の方からもで、「あ、そこまで仕事できない人間でもないのでは……?」とホッとしてきたタイミングだった。

 

ホッとしてきたタイミングだからこそ、環境への不満とかそういうことではなくて、いくつかの「転職」へのモチベーションとなる「疑問」が見えてきた。


・もっと人数のいる企業で、違う環境で仕事をしてきた人たちと一緒に評価されたときにも太刀打ちできるのか?
・今の会社でも給料はある程度もらってるし昇給もさせてもらってるけど、転職するとしたらどれくらいのオファーがもらえるんだろう?
・「出版業界の構造を変えるのに一役買いたい」と思ってたけど、「出版業界」にこだわる必要があるのか?

・もっと大きい予算と大きい人数が動く仕事にかかわったらどうなるのか?

 

正直なところ、新卒入社以来ほぼ有給もとらずに走り続けていたので、当時は「転職を口実に1ヶ月くらい休みてええええ」という気持ちも大きかった。おかげさまで40日くらい休めました。

それでも、何よりもいちばん大きかったのは「ここで私がこの立場でできる『新しいこと』はもうない気がする」という感覚だった。もちろん並みの一般企業よりは柔軟で、提案さえすればいろいろやれる余地はあったと思うし、私のやる気次第で、まだまだ前職でやれることはいろいろあったはずだ。はずだけど、「ここでこの立場でできる新しいこと」に対しての自分のモチベーションがなくなって(モチベーションの持てる範囲のことはやりきって)、「ここ以外の、この立場以外での、新しいこと」を見てみたくなったというのが、先ほど挙げた細かな「疑問」につながったんだろうと思う。

実際、前職にも、中の人ではなく外注下請けの人という立場では、今でもかかわっている。

……というわけで、「そうだ、転職しよう」と思い、転職エージェントの力も借りながら転職活動をした結果、現在は、300人規模のIT企業でソーシャルゲームのプランナーをしている次第だ。

前職と現職での相違点は、以下のエントリにまとめてある。

 

zerokkuma.hatenablog.com

 

私は、もうすぐ28歳になる。この歳までに一度も転職していない人だって全然いると思う。それはそれで素晴らしいことだなと思う。ただ転職「活動」をきっかけに見えるものも結構あるので、もしちょっとでも迷いがあるなら、試しにエージェント行って自分の社会人経験の棚卸しするだけでも、今の仕事にもプラスになるんじゃないかなとも思う。

なんと私は、28歳を前にまた転職するので……(笑)。

 

落ちてきちゃったので、仕方がないのでした。

 

美人は性格がいいか?

美人がだいすきである。

テレビや舞台で愛でることのできる一流の美人、その「顔」を商売道具にしている美人たちだと、有村架純さんとか山本美月さんとか最近マジかわいいと思うし、AKBだと篠田麻里子さん大好きすぎたし、男性だと、岡田将生さんと小西遼生さんの顔が本当に本当に好きで、いついつまでも見つめていられる。
(ちなみにこの二人は全然兄弟とかではないはずだがめっちゃ似ていると思う。他の人にも意見を聞きたい)

しかし、そうやって玉のように光り輝いて大勢に認められている「プロ美人」よりも
私が心ひかれるのは、身近な、手が届く距離にいる美人である。道行く人の顔をじろじろ見つめては美人探しをしているので、いっしょに歩く人にはだいたいキモがられる。

 

そんな身近な美人のなかで私が一番美人だと思うのが、中高大の同級生のYだ。

Y柴崎コウ似の美人で、入学したてのころから同級生のあいだで「美少女戦士」などと呼ばれていた。
昔から少女漫画雑誌の読み過ぎで面食いだった私は、Yと同じ運動部に所属することになって、どきどきはしていたものの、カースト高めの部員たちに取り囲まれているYとはほとんど話すことはなかった。先輩すら、1年生全員を怒っているときに「Yちゃんはかわいいから許す」というスタンスをかもしだしていたくらいだ。

ちなみにうちの学校は女子校なので、先輩も全員女子である。女子校というのは男性の目がないぶん牧歌的になるように思えるかもしれないが、かわりに「女子が女子を愛でる」土壌が醸成されているので、厳然とした容貌カーストが打ち立てられているのである。

そんなカーストがばりばりに働いていた部活動において、もっさりとしているうえに協調性やおべんちゃら能力のない私は大変に生きづらく、っていうかそもそも何で入っちゃったのか忘れたくらい球技が苦手だったので1年間でソッコー退部した。
そのままYと接近することもなく私の人生は終わると思われたが、運命のいたずらというものはあるもので、っていうかまあ単なる偶然なんですけど、Yと私は同じ大学に進学することになった。

一応最難関大学ということもあり、同じ大学に進学する人間は20人ほど。
1/240人から1/約20人の関係性になった私達はそれなりに会話などをかわすようになり、「知り合い」から「友達」へと進化したのだが、そこで判明した衝撃の事実があった。
Yが「美人と言われると不機嫌になる」人間だったということだ。

贔屓目でなくミスコンに出られるレベルの美人であり、大学入学時も当然周囲の話題をさらっていたYなのだが、まわりから「Yちゃんってかわいいね」「っていうか柴崎コウに似てない?」と言われるたびに、「そんなことはない」「似てない」と至極不機嫌な顔で否定するのである。
「そんなことないよ〜」「似てないよ〜」という差し障りのない謙遜ではなく、ガチ否定である。

なんと、Yは自分のことを美人だと思っていなかったのだ。

いや、それも本当は正確ではなくて、たぶん、自分が世間的には「美人」と呼ばれる部類なのは認識しているが、それを認めたくない、そこをアイデンティティにしたくない、という強固な意思を持っているということである。

それと関連しているかはわからないが、親しくなって知ったYの内面は、ぜんぜん「美人」ぽくなかった。

たとえば、

・生まれも育ちも川口
しまむらで買った1000円のワンピースを愛用
・好きな食べ物は「きゅうり」、2番めは「かっぱ巻き」
・大学の体育の時間に急に険しい表情になったので「どうしたの?」と聞いたら、「ジャージの股が……さけた……」
・好きな異性のタイプは「花より男子」の道明寺
・「頭のいい人は嫌だった。やっぱ道明寺くらい明るいバカがいい」
・「それか40歳くらいの画家と結婚したい……」

といった感じである。
(決して埼玉をdisる意図はありません)

そんなYと仲良くなったことで私は、美人への幻想というのは、
想像以上に美人たちを生きづらくしているのではないかということに気づいた。
たとえば「美人ほど性格がいい。ブスは性格が悪い」という言説がしばしば話題になるが、あれって、非美人にも失礼かもしれないけれど、美人に対してだってまったくもって失礼なのである。

美人にだって、性格の悪いことを言ったり他人の悪口を言ったり「美人」を素直に喜ばなかったり1000円のワンピースを着たり川口のホームセンターで遊んだり「道明寺と結婚したい」と夢見心地なオタ発言をしたりする権利はあるのである。

 

私はどうしても道行く美人を見つければジロジロ眺めてしまうし、Yに会うたびにパシャパシャと写真を撮りまくってしまうし、実は大学新聞をつくっていたときに「大丈夫、ほんの3行くらいの目立たないコーナーだから」と言って美人紹介コーナーにYを出演させた結果、まあもちろんふつうに紙面のなかでも目立つ企画なので、その後Yにキャンパスでぼこぼこに殴られた。

そんなふうに美人を「消費」する側の人間であることには変わりないけれど、美人たちが楽しく生きられるように、出来る限りの配慮をしていきたいし、美人のそばに置いておいてもらえる人間になれるよう、むしろ自分の性格をこそ良くしていかねばならないと思っている。

あー、美人だいすき。

※2015年5月に別の場所で書いた記事を少し修正しました。

「悪友 DX 美意識」刊行に寄せて――あるいは、私が安達祐実だったころ

最初にことわっておくと、これから私がする私の話自体は、美意識というよりも自意識の話です。あらかじめご了承ください。

 

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幼少期、安達祐実に似ていると言われていた。
改めて比べてみると「似てないじゃん!」とツッコミを入れたくなるし、その真偽はまったく疑わしいが、まあ当時の写真をみると、幼児の私はなかなか目鼻立ちがはっきりしていて、客観的なかわいさを持っているように思われる。少なくとも私も、人生において、幼少期の私の顔のことはわりと好きだ。

 

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客観的な評価は置いておいて、長子というのはだいたいかわいがられるものであり、「自分が出産するまで正直子供なんてうるさくて小汚くていらないと思っていた」とサバサバと語る母も、私のことをかわいいかわいいと言って育ててくれた。初孫を得た祖父母はなおさらである。クラシックバレエリトミックといった「お嬢様」っぽい習い事にも行かされて、9歳くらいまでは、私自身、主観的にも客観的にも自分のことを「かわいい」女の子だと思って育った。

しかし、悲劇は起きる。

デフォルトで「かわいい」と言われ幼少期までは母に丁寧に身だしなみをととのえられて大きくなった私は、自分で身だしなみをととのえるという技術を身につけずに育ち、そこに中学受験でバレエをやめたことによる運動不足と暴飲暴食がくわわって標準体重より太めになり、制服のない女子校に入ってしまったせいで「同じ制服を着た状態で互いに比較される」という機会も回避して、ボサボサの髪で、ダサくて体型を隠すような私服ばかり着るようになり、さらに成長して顔かたちも変わって「メンデルスゾーンに似てるよね」と言われる感じになり、客観的に「かわいくない」「綺麗じゃない」女の子になっていった。

さすがに主観的にも「かわいくない」「綺麗じゃない」ことは自覚していたが、かといって「かわいくする」「綺麗にする」必要も当時はなかったため、私服はさらにダサくなり、大学受験でさらに太り、「とりあえず写真にうつらない」という努力だけが行われた。両親の離婚によるどさくさもあって、「一番かわいくない時期」の写真が手元にないのは救いである。

暗黒時代は10年ほどつづいていたが、それが暗黒時代であったことが本当に自覚されたのは、大学に入学してからだった。

ガリ勉とアニメ&BLCD視聴だけを行う暮らしを経て東京大学に入学した私は「まあ大体みんな同じくらいもっさりしているだろ」と高をくくっていたが、まったくそんなことはなかった。男子はたしかに80パーセントくらいがもっさりしていて髪もボサボサで服もださかったが、女の子の60パーセントくらいは最初からかわいかった。大学新聞サークルに入って「キャンパスガイ」「キャンパスガール」(キャンパスのかっこいい男の子とかわいい女の子を紹介するコーナー)というちゃらついたコーナーを担当することになり、学校中で女の子をスカウトしていた経験も踏まえての実感だ。キャンパスガイを探すほうが大変だった。

というのも入ってみると実感するのだが、東大に入ってくる女の子の大半は「頭のいいお父さんと顔のいいお母さん」の間に生まれているので、元の素材とセンスの両方が良いのである(ちなみに我が家は、母も東大生なのだが、母は子供の頃から今までずっと美人で几帳面で性格もいいので、大学時代もモテモテだったそうです)。

「今からがんばらないと……」ということは自覚したものの、頑張る方向性がわからなかった私は引き続き法科大学院受験の勉強をしないといけないことを言い訳に、ダサいファッションセンスをこじらせ、髪はボサボサで、全身がブクブクしたままだった。メイクもほとんどしなかった。この時期の写真もやはり存在しない。

そんな私が27歳現在、自撮りをFacebookInstagramに上げたり、仕事上の必要に応じて顔出しをすることに抵抗がなくなったのは、ひとえに「かわいい・綺麗には素材も大切だが努力とコスト投下も大事だし、かわいい・綺麗になろうという努力をすればリターンもあるし何より自分が楽しい」ということを、社会に出てからようやく理解したからである。

紆余曲折あって5kgのダイエットを行い、毎週ジムに通い、髪の毛を月1回ちゃんとした美容院で切って毎日乾かすように努め、変なヒラヒラや柄のついた服を着るのをやめ、日々化粧水をつけて丁寧にメイクをし……という細かい努力のやり方を覚えたことで、「どうせブスだし」という言い訳をしなくなった。

別に顔や見た目で得をするような「かわいい」「綺麗」は手に入れていないし、「素材が一番」という信仰を持っているので、引きつづき相対評価でいうと自分のことは中の下くらいだろうと考えている。素材が良い女の子に対する執着も激しい。本当に顔そのものが好きな女の子にしか「綺麗」という言葉は使わない。一方で、SNS上で担当した記事関連で炎上が起きたときに「こいつブスじゃん」と容姿をいじられたときはマジでムカついた。いつかあのときの愚痴垢の中の人間の顔をみて「ブス」と言ってやりたい気持ちはずっと持っている。しかし、少なくとも自分の人生の段階ごとと比較すると、今が幼児時代の次にマシなのではないかという評価にはなってきたせいか、人に「ブス」と言われてもあまり気にしないようになってきた。

もちろん、本当に「綺麗」になりたいのであれば、整形などの手段も考えられると思う。でも、土台を変えるより前にやれることがまだまだたくさんあって、努力もまだまだ足りないという自覚がある。他人とくらべるよりも、まずは「昨日の自分」「先週の自分」「去年の自分」よりもかわいくなるにはどうしたらいいかということに一生懸命になるほうがよほど建設的だということに気づいた。

安達祐実さんは私と違って、0歳から35歳までずっとかわいくて綺麗でありつづけているわけだが、私は安達祐実ではない以上、メンデルスゾーンとしての最良を目指すことにしたのだ。

そんなふうに、27歳になってやっと「ブス」という言葉から自由になれてきた気がしてようやく、コスメや美容の話を周りともできるようになり、「美意識」というテーマが気になってきた。その結果として生まれたのが、「悪友 DX 美意識」です。

 

ことわっておくと、ナンバリングされている「vol.1 浪費」「vol.2 恋愛」はサークル劇団雌猫の総意でつくっているのに対し、今回のDXは完全に「私が書いてほしい人に私が声をかけて企画・編集」という感じのため、結構偏りがあると思います。あと、「浪費」と違って、「おしゃれサイコー!」みたいな話ではないので、話によってはちょっとアンニュイな気分になるかもしれません。

でも、そういうところも含めて、同世代や近い世代のオタク寄りの女の子たちのありのままの自意識の標本みたいな本になったのではないかな〜〜〜と思っておりますので、ぜひぜひ手に入れていただければ幸いです。5月20日(土)阿佐ヶ谷ロフトで初売りだよ!

 

NAILSINCの「2ヶ月ネイル塗り放題」サービスやってみた

こんにちは、東京砂漠で消耗しているアラサーです。

さて、以前「ネイルズインクのエクスプレスマニキュアサービスいいよ!」というお話しをしました。

zerokkuma.hatenablog.com

その後、ルミネエストのネイルズインクは期間限定店舗だったために閉店してしまい、しばらくネイル難民になっていたのですが……ふと昼休みにルミネ2のほうをぶらぶらしてたら、ネイルズインクの常設店舗できてた!!!!そういうのは教えてよ!!!!

しかもエクスプレスマニキュアやろうと思ったら、なんと「アンリミテッドマニキュア」という新しいサービスができていました。これは2ヶ月間7000円で、いつでもマニキュアが塗り放題というもの。ちょっと高いような気もするかもしれませんが、ジェルネイル(4000〜6000円が相場)に比べれば全然お得だし、通常の「エクスプレスマニキュア」でワンカラー塗ってもらうには1700円ほどかかるので、2ヶ月で5回マニキュアしてもらえば十分元がとれます。というわけで常設店舗オープン記念のお布施もかねて、4月始めに申し込んでみたのですが……とっても楽しい!

現在1ヶ月半ほど経ったところですが、すでにこんなに塗り替えてしまいました。

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あ、最後の2色塗りはプラス500円払ってます。

ちなみにオフは塗り放題サービスに込みです。

 

1回1700円でエクスプレスマニキュアやったときは結構剥がれるのが早くて、ジェルネイルとは違ったストレスを感じたのですが、塗り放題サービスに登録したことで、マニキュアがはげたら遠慮なく次の色を塗ってもらうことができ、いろいろな色も楽しめていいことづくしです。私はなんだかんだ週1ペースで塗り替えてます。

難点としては、

・意外と混雑しており、フラッといくとすぐ施術してもらえない。予約したほうが安全。

・まあなんだかんだ剥がれやすいのでジェルネイルのが精神的に気楽なこともある。

・1回あたり30分はかかるし、手間がかかるっちゃかかる。

・職場の近くにある人じゃないと不便かも。

という感じでしょうか。今のところ新宿勤めなので、昼休みの良い気分転換になってます。2ヶ月終わった時に更新するときは10パーセント引きになるらしいし、次回も申し込もうかな〜〜〜。

それにしても塗り放題してみて気づきましたが、なんだかんだ冒険した色(上でいうとネオンピンクと明るいブルー)にすると、すぐに爪に違和感を感じて塗り直したくなり、結局4日くらいで変えがちで、やっぱりピンクが最強だなあとは思いました。ネイルズインクはピンクのバリエーションはめちゃめちゃあるのでピンクだけローテしてても飽きないとは思います。

それではみなさまも善きネイルライフを。

「牯嶺街少年殺人事件」A Lollypop or A Bullet

普段なら、どれだけ自分が興味のありそうな筋書きの映画でも、上映時間が3時間以上あるとわかれば躊躇していた。それに、映画の教養がないのでエドワード・ヤンの名前も「牯嶺街少年殺人事件」の名前も知らなかった。それでも、別に知っていたわけでもない"巨匠"の4時間弱もある作品を観に行ったのは、ポスターで見た少年少女の横顔があまりにも美しかったからだ。台湾という国は好きで、すでに3回は旅行に行っているのと、他に興味があると言っている友人がいたのにも後押しされ、水曜の夜、レディースデーにシネマート新宿に向かった。待っていたのは、思っていたのと全然違う4時間だった。

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「殺人事件」という言葉の剣呑さを忘れてしまうほどに美しい横顔をしていたポスターの少年・小四と、少女・小明。間抜けな私はすっかり騙されて、切なくて美しい少年少女の恋物語が展開されるのかと思いこんでいたのだが、まあたしかに二人は恋人関係になったりもするんだけど、蓋を開ければ、最初から最後まで、決してわかりあうことがなかった。

大陸から渡ってきた、肩身が狭くて真面目な公務員の父と気の強い元教師の母に育てられた小四(シャオスーはあだ名。本名はチャン・チェン)は、5人兄妹の4男。演じるチャン・チェン(役者の名前と役名が同じ)の顔はどこまでも端正でとても聡明そうに見えるが、両親の期待にこたえられずに建国高校の昼間部に落ちてしまった彼は、夜間部の不良グループ「小公園」とつるみ、リーダー・ハニーの不在で意気がっている男・滑頭を陥れ、ハニーの彼女・小明に恋をして付き合い、ライバル集団の襲撃にも参加し、ムカつく惣菜屋のオヤジが酔っ払っているのを後ろから石で殴ろうとし、校長に素行を注意されて我慢できずにバットを振るって退学になり、金が必要になれば母の大切にしている腕時計を質に入れ、その罪を兄にかぶせもする。

しかし、彼はわりきった不良にはなれない。滑頭を陥れるときは「女と逢引していたという噂を流す」という方法に出るし、ライバル集団を襲撃する際にも、自分はただ同行して様子を見つめ、息絶えたリーダーを観察するばかりである。バットで暴力を払うのも、「開き直った乱暴者」としてではない。最初は殊勝にうなだれていたのに、自分のせいで学校に呼び出された父親――以前は「学校の姿勢がおかしい」と校長に盾をついていた父親が、校長の前で身体をちぢこめてうなだれているのを見て、衝動的にやってしまうのだ。彼のやることなすこと全て衝動の爆発で、それは「心優しい青年が耐えかねて」というような美しいものではなく、「忍耐が途中で切れた、ふわふわした衝動の発露」に過ぎないように思える。「キレやすい10代」という言葉で片付けてしまうこともできないくらい、もっとボンヤリしていて、どっちつかずの不穏さがある。惣菜屋の親父を石で殴ろうとして、自分が殴る前に水辺に落ちてしまった親父を慌てて助け、結果的に親父から感謝される……というシーンにも、彼の不穏な曖昧さがひしひしとあふれている。彼が、台湾や家族といった、自分を取り巻く世界すべてを愛し憎んでいることだけはひしひしと伝わってくるのだけど、一体それらに対して「自分がどうしたいのか」が見えてこない。だから、次に何が起こるのかわからなくて怖い。

端正で聡明な顔立ちと、彼の内側のふわふわした不穏のアンバランスさは、最終的に「小明殺し」というかたちで爆発する。自分でもよくわかってないものを、小明にわかってほしかった、そして自分も小明をわかってあげたかった小四は、その小明から手ひどく拒絶されたことで絶望し、彼女を殺してしまうのだ。いや、よく考えたらあれだって「絶望」なんてはっきりした言葉にしてはいけない行動だったように思う。自分の手で恋人を殺してなお、彼はどこまでも世界から疎外された傍観者だった。逮捕後のシーンでも、小四は不良グループの一員として警察に認識されていなかったことが描かれている。彼は何者にもなれずに、刑務所に入る。

小明――汚れも知らぬ顔をしながらさまざまな男の間を行ったり来たりし、最終的に小四から彼の友達に乗り換えたがために殺されてしまった彼女――と出会わなければ、小四は幸せに暮らせたのだろうか。あるいは小明が彼の友達に乗り換えず、小四の孤独を受け入れていれば、幸せに暮らせたのだろうか。私にはわからない。最後まで観ても、私には彼の孤独が底なしにふわふわした綿菓子にしか見えなかったからだ。「生ぬるい」という意味ではなく、もう本当にどうしようもないものにしか見えなかった。一見『君の名は。』みたいなボーイミーツガール映画に見えるポスターだけど、小四と小明の孤独の距離は決して縮まらなかった。よく考えたらポスターの二人の間にも距離があった。

小四の中の「ふわふわ」はきっと私たち一人ひとりの心のなかにもひそんでいて、でも自分をいい意味で騙して、もっと確固たる方向性のある地に足のついた絶望として処理していくということを日々やっているというだけなのかもしれない。個人的に桜庭一樹さんの『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』を思い出したので、こういうブログタイトルにしたのですが、しばらく前に読んだので、読み返したら全然的外れな可能性はありますね。

うーん、こういうことよりもっと書くことがある気がするのですが、すごく「映画」だったのは間違いないなと思いました。1カットたりとも美しくないシーンがなかった。いや、「映画」って何なのか全然わかってないけど。他の人の素晴らしい評をむしろ読みたくて探しているのですが、なかなか見当たらない。それにしても「A Brighter Summer Day」という英題はずるすぎるのではないでしょうか。観てよかったです。

 

株式投資女子のTwitterをながめるのがとても楽しい

以前記事を書きましたが、ちまちまと株式投資をしています。

zerokkuma.hatenablog.com

私はあくまで「いろいろなアクティビティの一環で株にも手を出している」だけなため、大して語れることもなく、四季報もろくに見ずにインターネットにうつつを抜かしているわけですが、インターネットにうつつを抜かしつつ株にも手を出す過程で、全力で株式投資している株クラスタのみなさんが想像以上にTwitterにいるのを発見し、フォローしながら日々勉強しています。

そのなかでも最近見ていて楽しいのが、株式投資女子(推定)のみなさんです。ウ◯フ村田さんやシ◯ーク麗子さんといった超有名アカウント以外はわりと男性が多いのかな〜と最初思っていたのですが、よくよく見ていると、結構いらっしゃって、着眼点やツイートのセンスも楽しいですし、株以外の事柄にもいろいろとアンテナを張っている方が多く、日々ふぁぼりまくっています。

ということで、私がいつもこっそり拝見している株式投資女子のみなさんのアカウントを紹介させていただきます。私がゲーム銘柄メインでチェックしてるので、ゲーセクの方が多いです。

※純粋に楽しく拝見しているので紹介させていただいていますが、もし紹介されること自体について気になる方がいたらご一報ください。

ナイアさん@株クラ厨さん

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ナイアさんは八九寺真宵アイコンがトレードマーク。どうやらキャバ嬢時代に資産を築いて、現在悠々自適に暮らしていらっしゃるようです。自撮りのかわりに収支のスクショを上げてくれる。

爆益が出るたびに「オリーブスパ行く♡」「ルブタン行く♡」とツイートされているのをみると、私もルブタン買いてえ〜〜がんばろう〜〜〜という気になります。ちなみにオリーブスパは1回2万円のマッサージ店ですね。

 

明菜さん

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元薬学部で、GNIの株価が2ケタのときからその開発する新薬の社会的有用性に着目し、ひたすらGNIを持ち続け、一時期家が建つほどの含み損に見舞われながらも、現在は無人島を買えるほどの資産を築いているニート系女子。GNIにかける信念がとてもかっこいいが、ツイートははじけていてめっちゃおもしろい。

 

 

 

その知的なトレードスタイルに、男性トレーダーからもモテモテだが、切り返しがすごい。暇な女子大生と対談してほしい。

 

 

 

新海美冬さん 

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アイコンがめっちゃ美人だが、ツイートはさらに美人。つねに丁寧につくられたお弁当写真ツイートに癒やされています。投資のかたわら税理士試験の勉強もされていて、アイドルを応援するような気持ちで眺めてしまう。ナイアさんとのやりとりが百合。

 

 

 

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秋桜さん

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そーせいホルダーのお姉さん。いろいろな銘柄をポジしていらっしゃり、現在のポジションをツイートするだけでいつも100件くらいふぁぼられている人。いつも勉強させていただいております。

 

 

 

 

ヤシロ@ゲーム株さん

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「会社やめたい」が固定ツイートの兼業トレーダーさん。ゲーセク中心にトレードをしていらっしゃり、各企業に対していつも情報感度が高く、いつも勉強させていただいております(アエリア4000円台のホルダーなのもあり)。あと、Twitterで他人のトレードに乗っかったりああだこうだ煽ってる人に対して辛辣で、孤高をつらぬいているところがすきです。

 

 

 

 もちろん男性トレーダーの方のアカウントもいろいろ見ていておもしろいなと日々思っているのですが、今回は周りでも投資に興味を持つ女子が増えればいいな〜と思って、あえて女性のみなさんのみ紹介してみました。私も爆益出して美味しいものの写真をあげられるようにがんばります。