It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

「海に行きたいんだけど」と彼女は言ってない

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「海に行きたいんだけど」  

 いつものように唐突に電話してきた彼女は、いつものように唐突に告げた。  

 大学時代、なんとなく見学に行ったが結局入らなかったテニスサークルの新入生歓迎飲み会で、私は彼女に出会った。やっぱりノリが合わないな……と思いながらも周囲の空気に乗ろうと必死な私の隣で、彼女はひたすらハイボールを飲んで、周囲の空気など全く気にせずにつまらなそうな顔をしていた。その日の自分の服装はまったく記憶にないのに、彼女が着ていたデニムのワンピースと、つややかにととのえられた黒髪の隙間からのぞいたゴールドのピアス、グラスを支える指先に施された薄桃色のネイルのことはよく覚えている。  

 女子校で地味な6年間を過ごしてしまったことを後悔し、「大学デビュー」という言葉をひそかに胸に抱いていた私と違い、超然として優雅に退屈している彼女はそもそもこんな飲みサーのようなテニスサークルの見学にすら来る必要はなかったのではないかと不思議だったが、飲み会の帰り道で(我々はもちろん二次会には行かなかった)どうして参加したのか聞いてみたら「この時期はタダで酒が飲めるからテキトーなサークルに顔出してる」と言ったので、ああやっぱりこんなサークルには興味のない人だったと、少し安心した。  

 彼女にとって内容にはまったく興味のないサークルの飲み会にちょっと期待してやってきてその場で後悔しているような平凡な私には、きっと彼女は少しも関心はなく、つかの間交わったように感じる二人の関係もこの帰り道で終わるのだろうとは思ったのだけど、私はダメもとで勇気を振り絞り、「メールアドレスとか、交換しない?」と頼んでみた。

 

 「メールアドレスは持ってるけど、いま覚えてない」  

 彼女がそう言って首を横に振ったので、私は数秒前の自分のムダな勇気を深く恥じたが、彼女はスムーズな動作で私の手からケータイを奪い、何かを打ち込んだ。

「だから、電話でよろしく」

「……え、じゃあSMSでメッセージ送るね」

「うーん、そもそもあんまりメールやSMSの類が好きじゃないから、SMSなら返信しないかも」  

  そこまで言われるとこちらから連絡するにはよほどの理由が必要だろうという気持ちと、自分ではたいした理由に思えても電話越しの彼女につまらなそうな相槌を打たれたらそれだけで死んでしまいそうな気持ちにさいなまれ、現在に至るまで、私から彼女に電話したことはない。

 しかし彼女のほうからは意外と連絡がきて、月に1度は酒の場に呼ばれた。

「今渋谷で何人かで飲んでるんだけど来ない?」

「もう一人女の子いたらタダ酒が飲めるから一緒に手伝ってくれない?」

「池袋で合コン中だけど、退屈で抜け出したいから付き合ってくれない?」

「知り合いのバーが1周年で知り合いはタダだから来ない?」

 などなど、理由はさまざまだが、とにかく「その日あいてたら」という唐突なものばかりで、私は「ふだんは遅刻もしないのに、なぜかドタキャンの多い女」「遅刻はしないが中座の多い女」になった。  

 出会った飲み会でのつまらなそうな横顔の印象が強くて、彼女にとって、いわゆる‘リア充“がワイワイしているような飲み会は軽蔑の対象ではないのかと最初思っていたのだけど、誘われる飲み会に繰り出すうちに、彼女はどの飲み会に対しても真摯には向き合っていて、ただ結果的に「求めるもの」がないことに気づいて、あのつまらない表情に移行するのだということにだんだんと気づいた。私が呼び出される限りでは完全に同じメンツの飲み会は二度とはなかったが、彼女はその場その場での「こういう人と飲むんだけど来る?」といった誘いにはちゃんと応じていて、毎度ちょっとずつメンバーと内容の変わった飲み会に参加し、私も呼ばれつづけた。しかも、彼女の知り合いたち―—大学の友人ではなくさまざな飲み屋で知り合ったらしい彼ら彼女らは、彼女に遠慮なくメールやSMSで遊びの誘いを送っているようだった。

「でもこいつ、3〜4回に1回くらいしか返信してくんないんだよね」

「自分からは一度も連絡してこないし」

「◯◯ちゃんみたいに自分から誘うような友達が大学にいるのも意外だったな〜」

「ってか大学ではどんな感じなの? 他に友達いるの?」  

 連絡手段の件について、私は彼ら彼女らにちょっとした嫉妬を感じなくもなかったが、同時に「彼女は自分から連絡してこない」「自分から誘う友達はあなただけ」という事実を教えてもらえたことで、彼ら彼女らに心から感謝した。また、平凡でもっさりとした私にも彼ら彼女らは気さくに話しかけてくれたので、女子校で低下の一途をたどった私のコミュ力も多少は改善し、学部やゼミでの交友関係も意外とスムーズにこなすことができた(たまにドタキャンすることを除けば)。  

 彼女から呼び出されるのは私だけというのはつまり、彼女が求めているものの片鱗が私にあるということだろうか? ちょっと自惚れてしまった私は、あるとき二人で飲んでいる最中に、酔っ払った勢いで、彼女に正面からその質問をしてしまった。内面に踏み込まれるのを良しとしない人だろうと思っていたのだが、カクテルグラスを傾けた彼女は、いやな顔をせずにただ首を振った。

「うーん、あなたの言う『求めてるもの』っていうのがよくわからないな。私にも自分が何をしたいのか、何が好きなのか、あいまいだから」

「わかってるのかな、と思ってた」

「常連の店も特にないし、好きなブランドも特にない。特定の恋人が欲しいという人の気持ちもまったくわからないんだよね。いや、別に複数の人間と関係したいわけでもないけど、人やモノに優先順位をつける感覚がまったくわからなくて。記念日だろうがなんだろうが、先に約束した人と遊びに行くし、『なんで彼氏の俺をさしおいてあいつとばっかり遊びに行ってるの』なんて怒られても、そりゃ誘われたし……だったらあなたももっと自分から私のこと誘えばいいんじゃないの?って本当に不思議になっちゃう。好きな本だったり好きな映画だったりはもちろんあるけど、『これじゃないとダメ』ってものがないんだよね。それで人とうまくいかなくなることも多いかな。恋人にかぎらず、友人関係でも、『いつメン』みたいなものに組み込んでもらえないし」

「てっきり、自分から『いつメン』みたいなものを作るのを避けているのかと思ってた」

「そう見えてたんだ? そういうこと言ってくる人っていうのはあなただけだから、私からしたらあなたの『求めてるもの』のほうがおもしろいなと思うけど。電話番号教えたのに、一度も自分からかけてこないくせに、誘うと絶対来るし」  

 そんなふうに彼女が私の内面に関心を持つとはまったく思っていなかったので、私は照れ隠しにグイグイとウイスキーを飲んでしまい、その後の記憶はない。しかし、その日を境に彼女は多数の飲み会に私を呼ぶことはなくなった。というか、たぶん1人か、私と2人でしか飲まなくなった。かといって以前よりも深い話をする仲になったわけでもなく、話題は近況や最近観た映画、良かった本などの感想に終始し、私と彼女の距離はそれ以上縮まらないまま、我々は大学を卒業し、社会に出て、それからも縮まらない距離で飲み続けた。  

 そういう、関係性というか無関係性というか、とにかくあいまいな距離の相手なので、彼女から唐突に電話が来たことには驚かなかったけれど、唐突に「海に行きたい」と言われたことには本当に驚いてしまい、うっかりスマホを取り落としそうになった。

「えーと、今からってわけじゃないよね?」

「今からってわけじゃないよ、さすがに。忙しいだろうけど、そっちが土日両方あいてる日があったら1泊2日くらいで旅行行きたいなと思って」  

 この9年間、その日の夜の予定しか私に許してくれなかった彼女が、1泊2日の旅行に誘ってくるとは……。変なものでも食べたのだろうか。思わず本人に聞いてしまいそうになったが、ぐっとこらえ、私は「わかった。予定確認して電話するね」と返した。

「あ、わかった。LINEのID教えるからそこに返信してくれたらいいよ」  

 あ、LINEも始めてたんだ。メールアドレスすら記憶してないほどコミュニケーションに無頓着な人が……。IDは、名前のローマ字表記+誕生日らしい文字列という非常にシンプルなものだったが、おそるおそる検索窓に打ち込むときちんと彼女の趣味らしきなんだかオシャレな風景のアイコンが表示され、ともだち追加を押してリラックマのスタンプを送ったら、Suicaペンギンの無料アイコンが返されてきた。

「承認ありがとー。LINE IDの数字って誕生日?」  

 そういえば、私は彼女の誕生日すら知らなかったのだ。

「YES!」  

 と、しゃべる呑気なペンギンのスタンプ。  

 ここ9年で一番の情報量が一気に押し寄せてきて、私は目眩でその場で倒れてしまいそうになったが、グッとこらえて予定を伝えた。「メールもSMSも苦手」と言っていた彼女のLINEはたしかにシンプルで、大体の回答はペンギンスタンプによりなされたが、レスポンス速度自体は思いのほか早く、その日のうちには、3月の3連休の土日を使って伊東温泉に行こうというところまで決まった。  

 そうして、私と彼女の最初で最後の幕をあけたのだ。

 

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というような事実はまったくないのですが、「創作実話について考えたい」という気持ちと「伊東温泉行った記録書きたいな〜」という別々の気持ちがごちゃまぜになって、よくわからないものを書いてしまいました。ホントだと思って読んだ人はごめんなさいね……。