It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

天才と女癖

オスロに来ている。今年観たノルウェー映画 「The Worst Person in the World(わたしは最悪)」がとてもよかったからだ。調べると、本作のロケ地はオスロのオフィシャルトラベルガイドにまとめられており、ロケ地訪問をすることに決めた。すでにオスロに三日、北極圏のロングイェールビーンに四日滞在し、あと一晩オスロに泊まって、明日ロンドンに帰る。今は今日泊まる宿のそばの喫茶店でだらだらしているところだ。雰囲気が私の好みすぎて、なぜ最初の三日に気づいてなかったのだろうともう惜しい。

いつか北欧に行きたいとは思っていたが、「北欧」は漠然としており、ノルウェーのこともオスロのこともほとんど知らないままだった。宿を予約しようとして驚いた。これまでに行ったどの街よりも高い。慌てて検索すると、旅系Youtuberも「物価高すぎ!」のような動画をあげている。ホテルでのんびりくつろぎたかったのだが、泣く泣くAirbnbに。あれこれ見たすえ、50代と思しき女性がオーナーをしている、中心地からバスで20分程度の一部屋をおさえた。
留学中初めての海外一人旅。恐れていた出来事が起きた。往路、オスロ中央駅のバスターミナル到着時点でiPhoneのバッテリー残量1パーセントという地獄を迎えたのだ。モバイルバッテリーも持ってないのに無駄にスマホをいじりまくっていた人間が落ちる地獄。アプリで買ったバスチケットをバリデートするまではどうか切れないでください、お願いごとを聞いてくれたらこの旅の間はツイート禁止の行を行います、とAppleの神に祈りながら、バスに乗った。なんと特にバリデーションは必要なく(交通機関性善説で運行されているのか検札すらなかった)、しかも座席にUSBポートがあった。Appleの神は存在した。心のなかで神に感謝を述べながらバスに揺られ、予約したフラットへと向かった。
フラットの前の庭は写真で予想していたよりも広く、子供たちが遊具で遊んでいた。持参のスーツケースは15kgに達しており、エレベーターがない建物を3階まで運ぶのはかなり辛かった。ドアを開けてくれた女主人も驚き、「なんで二日しかいないのにそんな大荷物なの!?」と第一声で叫んだ。この家にいるのは二日間だが北極圏に行ってまたオスロに戻ってくるので、防寒用品をぱんぱんに詰めているんです……と説明すると、元気ねえと笑う。彼女のほうがよほど元気そうで、私より若々しく見える。Odilleという名前も、ゆるやかにパーマをかけた金髪も、真っ赤なリップも、全部彼女に似合っていた。招き入れられた部屋も、写真以上に洗練されていた。「海外 おしゃれ 部屋」でPinterestを調べたら真っ先に出てきそうな。しかし絶妙なラフさが、一朝一夕には真似できないセンスによって構築されているのが伺えた。

ゲスト用の部屋に入るとOdiileは真っ先に、このテーブルは祖父母から譲り受けたアンティークなので、熱いものや濡れたものを直接おかないでね、と鍋敷きを使うことを強調した。歴史を感じさせる飴色の、真四角のマホガニー机は、まるでもう一人の住人のように、堂々とした姿をしていた。
キッチンには彼女の作業デスクがあり、ヒューレット・パッカードのノートパソコンと、A4サイズのレポートパッドが広げられている。その横に立てられたメモパッドには、Theater Warshawの文字と、to doリストのようなものが書かれていた。planning place? plays?が仕事だという。明確な職業名はわからないが、明日が大きなオーディションの締め切りなのだ、あなたも応募しなさい、贔屓しないけどとも言われたので、舞台監督やプロデューサー的な仕事なのだろう。リビングと彼女の寝室に挟まれた廊下の角に、私も持っている、クリエイターの卵向け自己啓発本"Artist's Way"(日本語版は『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』)の25th Anniversaryバージョンが飾られていた。冷蔵庫には同書の「アーティスト宣誓書」をコピーし、自分の名前を書き入れたものが貼られている。その周りをさらにマリリン・モンローのマグネットや写真、ポストカードが彩っている……と思いきや、いくつかは若い頃の彼女自身の写真だった。もともとはダンサーや女優をしていたのよ、とさらに教えてくれた。
前述のように「わたしは最悪」のロケハンが旅のメインなのと、ロングイェールビーンで体力をとられそうなので、オスロでは観光らしい観光はしないつもりだった。しかしOdilleは、自然に美術館、レストラン、カフェまで、多岐にわたるオスロのおすすめスポットリストを共有してくれた。これはさすがに感想を言わないとなと思い、MUNCH(ムンク美術館)に行くことにした。2021年にオープンした施設で、単独アーティストの美術館としては世界最大らしい。ムンクノルウェー出身だというのを、そもそも初めて知った。作品も「叫び」くらいしか知らなかったのだが、動物に景色に女性に、様々なモチーフの名作が残されているのを知った。

スケッチなども含めて、2万6000点は作品が所蔵されているという。「叫び」の路線を極めている人だと思い込んでいたので、すべてが新鮮でおもしろかった。本人の顔もなんとなく「叫び」のようなイメージで無意識に想像していたのだが、完全に誤解だった。

あるフロアにはムンクの家が再現されており、彼の生涯がいくつかの時期に分けて説明されていた。時期ごとに付き合っていた女のポートレートも展示されている。最初のlove affairは人妻とのこと。その後も人妻、人妻、未婚と、全員似た系統の、育ちの良さそうな美人の写真が並んでいた。ベルリン時代に知り合ったTulia Larsenとはいろいろな国に旅行に行ったようで、ひときわ深い関係のように強調されていた。とはいえ、"Art is more important than anything else."と書かれており、うまくいかなかったようだ。このほか、"Munch tried to conquer Paris Art. He failed."(ムンクはパリのアート界を征服しようとしたが失敗した)など、失敗話がそこそこ書かれていたが、普通の人間はパリのアート界を征服できると思わないので、ムンクのスケールのでかさにいちいち感心してしまった。

Tuliaの写真の横にはなぜか、ムンクの左手のレントゲン写真があった。何かのタイミングで怪我をしたらしいが、理由は書いていなかった。国民的有名人というのはこんなものまで死後も残されるのかぁ、なりたくないなぁ、ならないだろうけど、と思う。
「叫び」は三パターンあり、1時間ごとにひとつが展示されるシステムになっていた。「一つが光をあびている間、残りの三つは暗闇の中で眠ります」とポエティックな説明がされている。私はモノクロのバージョンを見た。

閉館までにもう一バージョンは見れそうだと思い、お腹もすいていたので一旦退場し、セルフサービスの併設カフェへ。何の変哲もないコーヒーとナポレオンパイを頼んだら会計が約2200円になり、ムンクではなく私が「叫び」と完全に同じ顔になってしまった。ロンドンでは論文執筆中にすべての自炊を諦め毎朝おしゃれカフェで1800円でベーグルサンドカプチーノを買ってQOLを保つことに決めたこの私さえ慄かせる物価である。体感として東京の2倍、ロンドンの1.2倍だろうか。道も建物もスタイリッシュで清潔で、バスのすべての席にUSBポートがあり、ベビーカーが乗車してくれば何かの運動会なのか?くらいの猛ダッシュで人々が席を譲り合う、ジェンダー指数世界ベスト3位の街だが、この物価ではどう考えても住めない。人々は一体いくら稼いでいるのか。その後予約していた一つ星レストランでディナーだったのだが、あまりの物価高を実感して急激にストレスを感じたのか、ロンドンでの引越し即旅行で疲労していたのか、お腹の調子が悪く、最後の二皿はテイクアウェイさせてもらった。酒も、スパークリングワイン一杯で済ませる。物価や税金は高いが、イギリスのレストランと違い水はこちらがtap water(水道水)と言わずとも無料でボトル提供してくれるのは、ノルウェーのいいところかもしれない。いや、税金が高いから成り立つのか?
部屋に戻り、洗濯物を洗いたかったのでOdilleに声をかけた。洗濯機の使い方を聞きながら、ムンク美術館に行った話をする。ムンクってオスロ住んでたんですねというところから話すと、Odilleの顔がかがやき、正確にはオスロがまだクリスチャニアと呼ばれていた頃に住んでいたのだという話、ムンクが引っ越し魔だった話、無口だったがそのぶん「見る」能力に長けていた話、幼い頃に母親を結核で亡くしその面影を追い求めた話などを滔滔と語られる。リビングにあるリトグラフムンク美術館で見た「聖母」の構図に似ている気がしてその話を振ると、いやこの絵は違うんだけど、でもマドンナに描かれた女性像にムンクが託したものは後世に影響を与えていて……と、彼女の語気はさらに熱を帯びていく。
オスロの人にとってやっぱりムンクって特別なんだな、まあ彼女は芸術の仕事をしているというのもあるのか、と考えながら相槌を打ちつつ、洗濯機の横で話を聞いていると、廊下にある背の低いチェストの上に置かれた一冊の本をOdilleが指差す。赤い表紙に女の写真の装丁でDagner Juelと書いてある。名前に見覚えがあるなと思ったら、ムンク美術館で見た美しい人妻の一人である。優雅に佇む彼女の額には、小さな金色の星のシールが置かれており、家主がずいぶんと思い入れを持っていることがわかった。「嫉妬(吸血鬼、とも呼ばれる)」のモデルであることが間違いなく、「聖母」のモデルとも言われているミューズだ。それにしても、ムンクではなく、彼のミューズの一人を特別に敬愛?と不思議に思っていたら、なんとOdilleはDagner Juelーー日本のWikipediaによるとダグニー・ユールと読むーーの血縁なのだという。国民的画家のミューズの血縁……すごい確率で知り合った気もするし、いそうといえばどこの街にもいそうな気もする。生きている間から成功していたムンクの家にはどこに住んでいるときでも、モデル志望の女性が殺到していたそうだ。

当初聞き間違いかと思ったが、家主のムンクトークは30分では終わらず、Dagner Juelの話でも終わらず、人妻だが夫との結婚時に「婚外恋愛を制限しない」に合意させ、複数人の愛人とアバンチュールしていたDagner Juelを、自分のものにしきれなかったムンクが失意にまかせてベルリンに向かいそこで出会った女、Tulia Larsenの話にも至り、これは本当に血縁の人なんだなあと実感する。Tuliaとは、ムンクのライフストーリーでやたら幅をとられていたように見えた彼女だ。Tuliaはムンク好きすぎてどこにでもついていき、ムンクを訴えたり結婚してないのに結婚したと公表したり、とにかく精神不安定なストーカー状態だったのだという。そして彼女の横にムンクのレントゲン写真が飾られていたのは、ムンクがTuliaが自殺しそうとの報を聞いて会いに行った際に銃を持った彼女と揉み合いになり、発射された銃弾が左手中指に当たって関節を打ち砕いたからだという、たぶん美術館のキャプションでも触れられていたのだろうが読み流していた事実も、Odilleの説明で理解した。
商売道具を傷つけられたムンクはようやく女遊びを控え、何年経ってもTuliaに呪いの言葉を吐いていたらしい。「聖母」のモデルにするほど愛した女ではなく、現実世界で揉めまくった女がライフストーリーで幅をとるのは、ちょっと面白い。なお、Dagner Juelは30歳になる三日前にムンクではない愛人に頭を撃たれて死んだ。銃と恋愛はどちらも規制したほうがいい。彼女の姿勢は今で言うポリアモリーに当たるのではないかと思い、もっと詳しく知りたくなったが、Odilleの持っている本はノルウェー語だったので、さすがに難しかった。彼女自身も作家だったようだ。話の終わりに改めて、文章で書くうえでの許可を取り、Dagner Juelとのつながりを聞くと、"the daughter of great great grand mother"とのことだった。曽曽祖母の娘……? 学校の授業でみんなやたら親の話をするなあと思っていたイギリスですら、ここまで遡って家族の話をする人には出会ったことがなかった。「わたしは最悪」で、30歳の誕生日を迎えた主人公が母親の家を訪れ、その母親やさらにその母親、さらにその母親の写真が並べられているのを見ているときに、彼女たちが30歳のときに何をしていたかがナレーションで語られるチャプターを思い出した。階級の問題などもあるかもしれないが、ノルウェーならではの気風もあるのかもしれない。西欧とくくるときこれまで頭のなかに北欧も含めていたのだけれど、完全に別の文化圏だなと思った。
今日もオスロにいるけれど、今晩は普通のホテルに泊まる。もうOdilleと会うことはないかもしれないし、いつかどこかで会うことになるかもしれない。その時々のボーイフレンドが撮ったという様々な年代のセルフポートレートを部屋にかざりながらも「でも私自身の使命に打ち込むのに忙しくて、他人のママをやっている時間が一分もなかったわね。ほら、Artist's Wayにもシャドーアーティスト(他人のサポートに回り自己肯定感を下げている人を指す)って概念あったでしょ」と目をつぶってみせたときのOdilleは、本人も作家として活動しながらもミューズとして後世に残ったDagny Juelのことも考えていただろう。自分はGEISHAの生まれ変わりで「ロスト・イン・トランスレーション」が大好きだとも言っていた。もし日本で会うことがあったら、渋谷のカラオケを案内してあげる予定だ。