It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

下品な抵抗

「りささん」

ベルリンのカフェで原稿を書いているとき、聞き覚えのある声に名前を呼ばれて驚いた。エディンバラで知り合ったTが手を振りながら立っていた。たしかにちょうど同じタイミングでベルリンに滞在するというのは聞いていて、ちょっとくらい会えたらいいねという話はしていた。しかしその待ち合わせ場所でも待ち合わせ日でもなく、別にベルリンの中心地でもないし観光エリアでもない。聞いてみると、わたしが滞在しているシェーネベルク地区の隣にあるクロイツベルク地区に滞在しており、作業ができるカフェを探してさまよった結果、同じカフェにたどり着いたのだという。ベルリンにはカフェが少ないわけではないのだが、wifiや電源がしっかり利用でき、(長時間の作業は困難なスツール席に限定されているが)PC作業OKと公言されている、雰囲気やフードも良質なカフェはたしかに近隣でここくらいで、わたしも4日ほど通い詰めていた(結局10日は行ったと思う。全曜日のシフトを把握した)。カフェオリジナルのアップルクーヘンがあまりにも美味しく、ひたすらカプチーノとアップルクーヘンを頼み続けている。両腕にいかしたタトゥーの入ったいかにもベルリンっ子な店員さんがどんな客にも「Hey, Buddy」と呼びかけてくれるのもいい。

アップルクーヘン

Tと知り合ったのは、8月に観たジャルジャルのライブだ。

わたしは特にお笑い好きではない。ただコロナ禍にお笑い好きな友人から勧められてyoutubeにアップされているコントを多少たしなむようになり、ジャルジャルのことは面白いなと思っていた。しばらく忘れていたのだが、修士論文を終えた打ち上げ旅行としてエディンバラに行くことを決めてから、その期間になぜかジャルジャルエディンバラに滞在し、一ヶ月連続公演を行うのを知ったのだ。エディンバラでは毎年8〜9月に「エディンバラ国際芸術フェスティバル」が開催されている。その一環で毎晩エディンバラ城で行われるミリタリータトゥー(軍隊行進音楽祭)が観たくて旅行先をエディンバラにしたのだが、同じ期間、エディンバラ国際芸術フェスティバルのおまけ(Fringe)として行われる、誰でもエントリーできるパフォーマンスフェスティバル・フリンジがあり、ジャルジャルの公演もこれにあわせたものだった。

ミリタリータトゥー

エディンバラでのジャルジャルは、本当にフェスティバルの一芸人という扱いだった。プレハブ小屋と呼べそうなこじんまりした劇場には、長年のジャルジャルファンと思しき、髪の毛真ん中分けで白Tベージュチノパン黒リュックサックを背負った今時男子大学生が数人ちゃんと控えており、「こんな人たち、イギリスとスコットランドにいたの?」とびっくりした(イギリスでは男性はヘアサロンに行くと角刈りにされてしまう運命のため、どうやってあのサラサラヘアスタイルを維持運用しているのか本当に気になった)(さすがに日本から遠征してきているということはないだろう)。とはいえ客席がぎゅうぎゅうということはなく、最前列でジャルジャルを観ることができた。「お客さんに二枚のカードに英文の主部と述部を別々に書いてもらい、それらを混ぜたボックスの中からジャルジャルがカードを引いてできあがったランダム文をもとにコントをする」という趣向だった。エディンバラで単独公演をするくらいだからジャルジャルって英語ができるんだ、すごいなと公演前感心していたのだが、蓋を開けたらびっくりするくらいたどたどしく単語をつなげてしゃべるような感じだった。それでもきちんとコントを成り立たせ、客を笑わせていたので、公演後はその度胸と技術になおさら感心したし、英語ダメダメスピーカーの一人としてかなり元気をもらった。

公演が終わると、ジャルジャルはすぐに楽屋に引っ込んでしまったのだが、司会兼英語サポート役の女性コメディアンは劇場の前でファン対応をしていた。この人はジャルジャルが英国のポリティカルイシューとしては若干あやういワードを掘り下げてしまったときに後からきちんとフォローしていて(具体的に言うとJKローリングなのだが)、大変有能に場をマネジメントしていた。彼女の働きに感想を伝えたいなと思ってなんとなく劇場の前に残っていたら、同じことを考えていたらしいTから日本語で話しかけられ、なんとなく友達になった次第だ。T自身はコメディアンではないが、コメディアンのプロダクションのようなものを経営しており、お笑い、正確にはスタンダップ英語圏の即興話芸)を深く愛しているらしい。フリンジ中は、自身のプロダクション主催のスタンダップショーを回しつつ、新しいコメディアンのスカウトで忙しいという。お笑いのマネジメントだけで生計を立てていてすごいなと思ったのだが、よくよく聞いたら本職はエンジニアで、友人と起業したスタートアップをすでにバイアウト済みで、今はそのお金で暮らしているらしい。いわゆるFIREというやつだ。いやお笑いプロダクションは経営しているから完全リタイアではないのか。とにかく変な人で、経歴だけ聞くと怪しいというほかないのだが、現に日本語がとてつもなく流暢だし、スタンダップをガチで愛している様子が伝わってきたし、SFが好きで今は『三体』を読んでおり、自分でもショートショートを書いているのだとサイトも見せてくれた。SFをちまちま書いている詐欺師はいないだろう、たぶん。そんなわけでゆるゆる連絡を続けるうち、ベルリンで再会することになったのだった。

Tはエディンバラで暮らしているが、スコットランド人というわけではない。ラトビア出身で、エディンバラの前はベルリンに住んでいたという。なのでラトビア語、ドイツ語もペラペラで、ついでにロシア語、スペイン語も嗜みがある。ベルリンでは日本語、英語、ドイツ語を猛スピードでスイッチングしながらしゃべっており、超絶技巧のジャグリングを見ているようだった(さすがに3ヶ国語スイッチングはTでも難しいらしく、たまに「あれっ?」「今何語??」と言い出すのも含めて興味深かった)。本当に違和感のない日本語を使うので、わたしには指摘できることがほとんどない。たまに「モトツマ」のような言葉が飛び出したときに、「『元妻』はSpoken Japaneseのニュアンスじゃないんだよね。『前の妻』がいいかもしれない」と重箱の隅をつつく程度である。聞けば彼には世界中に日本語のランゲージエクスチェンジフレンドがいて、ここしばらくは自衛隊員の夫の単身赴任によりワンオペ育児に明け暮れている専業主婦の女性と夜な夜な「フォートナイト」をしながらランゲージエクスチェンジをしているらしい。「フォートナイトは、『よけろ!』とか『右!』みたいなとっさの会話が学べてすごくいいよ」と言うのだが、そのような有事の会話をどこで活用するかは謎である。とはいえ、わたしが「元妻ではなく前の妻」や「自衛隊をArmyと呼ぶべきではない」や「甲斐性がない、のニュアンスに含まれるマチズモ」などを説明する代わりに、わたしの知らない現代日本社会の専業主婦事情をいろいろ知ることができたのは、彼のフォートナイトフレンドのおかげである。わたしこそフォートナイトを始めるべきかもしれない。

結局原稿に身が入らず、彼とだらだら話す。彼が今回ベルリンに来る理由をあまり聞いていなかったのだが、単なる観光ではなく、古巣のベルリンのコメディクラブに挨拶しつつ、来年のフリンジに向けた新しい才能を開拓するためだという。コメディクラブ、というのがあるのを初めて知る。入場料を支払うとワンドリンク無料でショーが見放題、早い時間はテキーラやピザがフリー。20時くらいからステージにコメディアンが登壇しはじめ、真夜中までショーを楽しむことができるという。今日この後も一軒行くんだけど来る?と言われたので、わたしも行くことにした。

そのコメディクラブはCosmic Comedy Clubという名前で、バーカウンターの壁には、目からビームを出している猫のマスコットがでかでかと飾られていた。インターネットミームとなっている「宇宙猫」と関係があるのかないのか、Tに聞いてみたが、首をすくめられた。

宇宙猫

Tのようなお笑いオタクが集まる場所なのかと思っていたが、わいわいグループで来ている若い客も多い。男女比は7対3くらいだろうか。ベルリンのお笑い人口と連動しているのか偶然なのか謎だが、全体的に縦にも横にもサイズの大きいお客さんが多く、ステージを見通せる席を見つけるのには若干苦労した。席を探しているとき、客席の最後部、やはりガタイのいい男性に連れられて所在なさそうにしている、白黒のボーダーニットに濃茶のミニスカートを着た女性が目に入った。栗色の髪と榛色の目をした彼女の可憐で華奢なシルエットは、このコメディクラブに場違いな印象だった。横にいるガタイのいい彼氏?に無理やり連れてこられたのかな……と思ったのだが、それが大きな間違いだったことが約一時間後に判明する。

 

ショーが始まるとTがちょっと嫌な顔をした。

「オープンマイクか」

この日のスタンダップショーは、クラブがプロフェッショナルに出演料を払う形式ではなく、お金をはらった飛び入り客がパフォーマンスできる形式、オープンマイクだという。Tはプロをスカウトしたいと思っていたので、誤算だったらしい。ごめんと謝られたが、わたしはコメディの巧拙がわかるほどお笑いに精通していないしそもそも英語が十全に聞き取れるわけではないし、別にどちらでもよかった。むしろどういう素人が現れるかを楽しむほうが面白そうだ。

実際、面白かった。みな、自身のエスニシティジェンダーセクシュアリティを開示しながらそれでネタを繰り出すスタイルをとっていた。Tは笑いながらも「うーん、ちょっとチープだね」とつぶやいていたが、わたしにとっては時事ネタやローカルネタ、英語の言葉の綾ジョークみたいなものよりも、コンテクストがシンプルで理解しやすかった。まあたしかに、「厳格なムスリムの父に育てられた結果童貞です」とか「ゲイどうしのマッチングアプリでのやりとりをビジネスイングリッシュで再現」とか「生理の血をコミュニストの赤に例える」とか、めちゃくちゃチープではあったのだが。そこはアマチュアの熱量をみんなで応援するような空気感だった。

ピザとテキーラと笑いで場があたたまってきた頃、彼女の番はやってきた。そう、白黒ボーダーニットの彼女が、ステージに現れたのだ。まさか登壇者だと思っておらず、さすがにびっくりした。あの所在なさげな感じはステージ前の緊張だったのかもしれない。ステージに立った彼女は堂々としていた。彼女はおっとりとした口調で名前を言い、自分がイラン人であると自己紹介した。客席の空気がわずかに張り詰めた気がした。イランの名前はここのところ、ヨーロッパのニュースメディアでもソーシャルメディアでも連日目に入ってきた。9月13日に、ヒジャブの被り方が風紀を乱しているという理由で拘束された22歳の女性マフサ・アミニさんが不自然に死亡した件に端を発する一連の報道だ。イランの女性や、各国のセレブ女性がアミニさんに連帯を示して髪を切る動画をSNSに上げているのは見ていたが、生身のイラン人女性にベルリンの、コメディクラブで会うとは思っていなかった。しかも、一切イスラムの教義を無視した格好のイラン人女性に。

一体どんなパフォーマンスが展開されるのだろうか。もしかしたら、コメディではなく政治的表明がなされるのか。

「私はイラン人女性です。私がベルリンでデートするのはドイツ人じゃないことが多いんです。トルコ人ギリシャ人、ロシア人……」

彼女は堂々と、でもちょっと俯きながらゆっくりと話し、そこで言葉を切ってからにやりとした。

「政治的信条で選んでると思った? 違います。XXXの大きさで選ぶとそうなるってだけ」

めちゃくちゃ下ネタだった。

会場の張り詰めた感じが一気にほぐれ、全員が笑う。正直わたしは公的空間で繰り出される直接的な下ネタがかなり苦手である(直接的な単語で笑う、というのはかなりホモソーシャルなノリを感じるので特に苦手)(単語を打つのすら抵抗があるので、このブログでは伏字とします)。それでもあまりにも不意打ちで食らってしまったので、わたしもブフッと笑ってしまった。Tもいかにもチープだと言いたそうな顔をしていたが、やはり笑っていた。

その後も彼女は、その口から?と衝撃を受けるほどの不謹慎下ネタと不謹慎宗教ギャグを繰り出していった。真剣な政治的トークと思わせておいて、最後不謹慎にひっくり返すというスタイル。ここで書ける程度のネタとしては、

「母はイランに住んでいて、父はもう死んでいるんです。弟に『二人とも地獄にいるだなんてつらいわ』と漏らしたら、怒られたの。『死後の世界の話をむやみにするな』って」

だろうか。彼女のスタンダップを聞いていると自分の中に「耐え忍ぶ貞淑なイラン人女性」のイメージがあることに気づかされた。それを転覆させるうえで、彼女が繰り出すストレートな下ネタと不謹慎はとてつもなく効果的に機能していた。

この後、彼女の連れである男性もステージに登壇し、そちらは「日本にはスシが、イタリアにはピザが、ベルギーにはムール貝がある。しかしドイツにはうまいものがないので、他の国と違って虐殺の歴史を世界中に忘れてもらえないんだ」というネタを放っていた(いいのか?と思ったが、「忘れない方がいい」という方向なので、まあアリなのだろう)。

ステージが終わった彼女はまた元の席に戻り、アンニュイな感じでアペロールスプリッツァーをすすっていた。やはり無理やり彼氏の趣味に連れてこられた女子大生にしか見えない。また彼女はパフォーマンスの中で直近の事件に明確に言及したわけではない。パフォーマンスだけを単純に見たら「めちゃくちゃ下ネタ言って笑いをとってる女」になるだろう。しかし、この夜の彼女は明らかに、イランの現政権に中指を立てる強い意思を持った勇気ある革命家だった。

イランでの抵抗が危険である以上、こうやってエスニシティを開示して現政府をあげつらうようなスタンダップを行うことは100パーセント安全というわけではないだろう。だから彼女のステージ名も書かないし、写真も撮っていない。でもそれらは、わたしの心には強く強く刻まれた。下ネタは引き続き本気で苦手なのだが、だからこそこういう転覆が可能なのだなあ、と、いうのはすごい発見だったし、その場に居合わせることができて、光栄だと思った。

わたしは憧れのアイドルに話しかけるくらいどきどきしながら"I'm from Sushi Country. I'm happy to see you"と挨拶し、彼女に乾杯を求めたのだった。