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飲みすぎないように文章を書く

逸脱と波打ち際ーー『非国民な女たち 戦時下のパーマとモンペ』

 

 
『だから私はメイクする』という本を編著した。2018年のことだ。

自分が「おしゃれ」がわからない人間なのでみんなの事情を知りたいというところから始まった企画だったのだが、編集していく中で、自分の好きに装うことは「日々の生活への抵抗」となるのだ、というメッセージが立ちあらわれてきた。書籍版の見返しにはこんな惹句を載せた。

『自分がどうありたいか』を知るために、私たちは今日もおしゃれして、”社会”という名の戦場へ向かう。

『非国民な女たち』は、まさに社会という名の戦場で、おしゃれのために抵抗した女たちについての研究書だ。年始に書店の棚で見かけて手に取ったのだが、新型コロナウイルス感染症の流行に伴う幾度もの緊急事態宣言の発令や、たびたび喧伝される「不要不急」の文言にうんざりするうちに、この本のことを思い出した。

内容はタイトルの通り。戦時下の日本で、女性たちがパーマネントや洋装のような「禁止されたおしゃれ」をいかにして継続し、モンペのような「推奨された国民的よそおい」にこっそり抵抗していたか、を政府の発令や新聞記事、美容関係者の回顧録などの文献をもとに紐解いていく。

著者はまず、「真っ直ぐな髪を後ろで束ね、モンペをはいた」姿が、銃後の女性のイメージとして定着していたことを指摘する。パーマネントの「禁止」とモンペの「強制」は、「戦時体制の監視と抑圧が生活の隅々にまで行き渡った事例」の象徴なのだ。たしかに私も、「銃後」という言葉を聞くたびに、「贅沢は敵」「欲しがりません勝つまでは」の言葉とともに、質素な姿で耐える女性たちの姿を思い浮かべていたように思う。

この本でも、国民精神総動員委員会(精動)によるたびかさなるパーマ禁止決議や、市電で「雀の巣頭」をした女が「時世を知れ!」と罵倒されて頭を掻きまわされたという新聞記事などが紹介されている。

しかし著者はそうした「禁止」「強制」の歴史を記述しつつも、「1943年までパーマ禁止令が繰り返されていたということは、つまり戦時中もみんながパーマをやめなかったからなのだ」と主張する。そして実際の写真や資料を交えながら、戦争末期になっても、パーマネント機の部品が徴用されても、防空壕に入ってすら、パーマをかけ続けた女たち、洋装を辞めなかった女たち、それを支えてきた美容家や洋装家たちの苦労を、明らかにしていく。

私が特に面白く思ったのが、電力規制が敷かれてパーマネント機の使用が実質不可能になったあと、女たちが配給の木炭を持ち寄ることで「木炭パーマ」が行われるようになったという話だ。

女性たちは炭が有り余っていたから持ってきたのではない。(中略)「薄の枯れたのを集めてごはんを炊いて炭を節約し」て、その炭を持って店にパーマをかけに来ているのである。

筆者はこれを、本来、国=公的領域に家計を包含していくために普及した「節約」という行為を、極めて個人的な目的に転化する点で、「彼女たちの行為は完全に逸脱していた」と述べている。しかも、木炭パーマ機は、一人がひとつ持ち寄れば使えるものではない。5〜6人ずつが持ち寄ってやっと、カーラーを十分に熱するだけの分量になるので、炭が足りない時、客は、次の客を待つ必要があった。そんな持ち寄りによって、「ある種の仲間意識や連帯感が生まれていた可能性がある」という著者の考察を見て初めて、私は「連帯」という言葉が肯定できた気がした。

「連帯」という言葉は、どうしても公的な領域や思想、行いと結びつくものだ。もちろんそうした「連帯」が実現する物事もたくさん思い浮かぶ。しかし、その連帯、公益のための連帯は「強制」との親和性がきわめて高い。本書でも、市川房枝をはじめとした女性運動指導者層が、まさに女性の「社会参加」を実現するために、精動での活動を行ったという事実を指摘している。アメリカにおける第2波フェミニズムのスローガンが「個人的なことは政治的なこと」であったことを考えても、彼女たちが「私的領域の公領域化」に邁進することは、彼女たちの立場からとても正しい「連帯」だったと思われる。社会運動というのは全てを潔白に行えるものではなく、既存のなまぐさくて利己的なゲームのなかにしたたかに参戦しないといけない時があるのも、理解できる。

それでも一方で、こうした戦略的連帯に基づく「強制」に抵抗した女たちの行動が、結果的に「連帯」になることに、とてつもない可能性を感じた。美容家や洋裁家はさておき、この時逸脱していた女たちは誰一人として「女性の社会参加」については考えていなかっただろう。今の「多様性」に紐づく美的価値観からすると、雑誌や都市生活を通じて「おしゃれ」だと思わされたものに拘泥している女たちは、むしろ没個性的だったと批判できるかも知れない。

けれど、私は彼女たちの存在を知れてよかったと思う。逸脱的連帯をしていた人々によって、個人的なものたちが、公的なものに浸されきらず、波打ち際が保たれている。私も、戦略的連帯に身を浸すことがあるだろう。自分では逸脱しているつもりで行っていたことが、すでに公的な側、強きものの側、大きなものの側についてしまっていることも、たくさんある。戦略的になる間もなく、勝手に連帯させられて、公的に利用されることも。だからこそ、自分の心の中の波打ち際を忘れないでいたい。

 

 

【余談】

ちなみに本書には、恐ろしい点が一つある。パーマネントの禁止やモンペの強制が浸透していなかったことの証左として、「もうこんな戦時下なのにあんなみっともない格好をして」といった論調の新聞投書がいくつも紹介されているのだが、それが、戦時下であることを考えた時に、むしろ呑気なまでにおっさんくさいのである。1945年6月20日に「読売新聞」に掲載されたという「黒髪をけがすナ」という投書がその極みだった。

疎開の持ち込んだ伝染病ともいうべきパーマネントが純な農村の乙女の心を汚しつつあたかも水の中にインキを滴らしたごとく、ますます蔓延している。(中略)大和撫子の姿何処にありや。君らには大和民族の誇りの黒髪があるではないか。パーマネントよ、いま日本は汝の本家と興亡を賭して戦っているのだ。ヤンキーに勝つ気なら、ヤンキーの真似はよせ、そして純な農村の乙女にかえってくれ。

 この人の呑気とキモさに感動しつつ、そう思っている私たちも、戦争が始まったとして、きっと終戦間際までネタツイやレスバに勤しんでるんだろうな……と戦慄させられた投書だった。