It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

街と空欄

黒い服を着ている人が多い。喪に服すためとも、単に正装として着てきたともとれる。だって、ここはロイヤルオペラハウスだから。昨日、女王が逝去した直後の演目はキャンセルになったという。私が二ヶ月前に予約し、首を長くして楽しみにしていたオペラ「サロメ」の柿落としも、黙祷と国歌斉唱の後に幕を開けた。

黙祷というのは、非常に便利な儀礼だ。王政や植民地主義に対する賛美しきれない気持ちを心に浮き上がらせつつも、余計な波風を立てずに、半分死を悼みつつ半分悪態をつくことができる。これは私が特別にひねくれた反抗的な人間だ、ということではない。国家こそが、そうした人々の「意見の違い」を都合よくナショナリズムへ押し込めるために黙祷という「戦略」をとっているのだと指摘する論文を、大学院で「暴力の記憶」というテーマに沿ったリーディングをするなかで読んだ。

沈黙であるからこそ、国内における人々の意見の違い、帰属の違いを表沙汰にしない。むしろ様々な国王(現在は女王)をはじめとし、退役軍人までの、すべての階級が共に兵士の死を悼み、尊い行為であったという ことを顕彰する場として成立している。特定の宗教的象徴(たとえば十字架などの)ではなく、セノタフという記念碑を中心として行われるために、それは 宗教儀式であるよりも、国家儀礼であるということが明確に表明されている し、意識されている。

(粟津賢太「追悼の多文化主義ナショナリズム: イギリスの事例を中心に」)

この論文が、黙祷がナショナリズムに大きく寄与した例として大きく紹介しているのが、イギリスのリメンブランス・デー(戦没者追悼記念日)だ。ロンドン・ホワイトホールに常設されている戦没者慰霊碑・セノタフーーラテン語で「空の墓」を意味しそこに遺体はないーーのもとに王族と軍人が集まり、追悼の象徴であるポピーを献花した上で二分間の黙祷を行う。

By POA(Phot) Mez Merrill 

もとは第一次世界大戦の戦死者を追悼するために始まったのだが、時間を経るにつれてその「追憶」の対象に、第二次世界大戦の犠牲者や、北アイルランド紛争の犠牲者などが含まれていった。これはおかしいのではないか、リメンブランス・デーのポピー を通じた寄附金の行き先に近年の中東侵略の退役軍人も含まれるのはおかしいのではないか、英国軍人のみを「英雄」化してヨーロッパ中心主義を強化する人種差別性があるのではないか…など、世論が割れている部分もあるようだ。

www.independent.co.uk

しかし、つるりとした表情のないオブジェクトであるセノタフや、黙祷という行為には「差異」を殺す空虚さがある。その空虚さが、多様なバックグラウンドを持つ人々の大きな衝突を回避させ、多文化帝国としてのイギリスが現代のナショナリズムを形成することを助けたというののが上記論文の分析だった。

自分がその場に居合わせて痛感したが、人々が声を出しているときに沈黙で反発することは容易だが、人々が声を押し殺している時にそれを遮ることはかなりの困難を伴う。あくまでここは「よその家」という意識もある。黙祷には応じ、国歌斉唱中は口を閉じていた。演目は圧倒的に素晴らしかったので、上演後は声の限りブラボーと叫んだ。血まみれで立つサロメはこの世のものではないように美しかった。

 

100ポンドかけて良席をとっていた「サロメ」なのだが、正直、鑑賞を断念する可能性もあった。この週末に寮を引き払わなくてはならないのに、荷物の整理や配達に手間取っていたからだ。段ボールをフラットメイトにまとめて買ってもらったところその配送がぎりぎりになった。水曜にどうにか到着した段ボール一箱にしばらく読まないだろう本を詰め切り、木曜に雨の中最寄りの郵便局にひいひい言いながら台車で運んだら、なんと営業していなかった。調べると、木曜・金曜がイギリスの主要郵便事業者であるRoyal Mailのストライキ日に該当していた。ポストオフィスはストライキ中でも空いているし、オンラインで申し込み・支払いを済ませて荷物を持ち込むだけなら、ストライキは影響しないとウェブサイトに書いていたが、それでも閉まっていた。言ってることと違うじゃねえか〜と思ったが、イギリスではこういうことがたくさんあるので仕方がない。しとしと降り続ける雨と本50冊の衝撃的な重さに心が折れかけ、ストライキ後の土曜に仕切り直そうかと考えたが、ダメ元で、もう少し大きい郵便局まで足を伸ばしたら、そちらは営業していて、どうにかなった。日本では大きな荷物を送るときは自宅まで引き取りにきてもらっていたから、20kgの荷物を20〜30分もかけて台車で運んだのは人生で初めてだった。今までお世話になったあらゆる宅配便ドライバーへの感謝の念がわいた。筋肉痛が全身をむしばんでいる上、台車で道路の段差を越えようとしてうまくいかず、段差の前で止まってしまった台車のふちに思い切りぶつけてしまった左膝の青痣がまだまだ痛い。ミステリー小説でバラバラ死体が出てくるとどうしても変態性や異常性の描写だと思ってしまっていたが、いかに理性的で合理的な行動であるかを身にしみて理解した。

荷物はさらに二箱あった。しばらくヨーロッパに出てまたロンドンで暮らす予定で、旅行用スーツケースには収まりきらないがまだ使うだろう服や食料品を入れている。ストレージサービスを利用すると1ヶ月で130ポンドほどかかることがわかり、図々しくも、こちらに住んでいる中高の先輩Yさんのお宅に置かせていただくことになった。3年前私が語学留学でロンドンを訪れた際に荷物全部盗まれたときにも現金を貸してくれた、天使のような先輩である。こちらの二箱はUberを利用して自分で運搬。YさんのフラットがあるCanada Waterに向かうあいだ、いくつもの女王が目にとびこんできた。

中心地の土産物屋には喪もセレモニーも関係なく、女王のハリボテが置かれて客引きに使われているので、そこそこ慣れた感覚ではあるものの、住宅街のサイネージで彼女の顔を見るのは初めてで、やはり特別な事態なのだなあという感じがあった。

帰りは電車を使ったのだが、駅のサイネージも当然お悔やみ仕様だった。目の前に立って記念写真を撮っている観光客がいて、なるほど?と思ったが、まあ私もこうして写真を撮っているので、両者に違いはないだろう。

帰りは電車に乗った。ロンドンでは、地下を走る路線はUnderground、地上を走る路線はOvergroundと呼び分けられる。駅の案内もそれぞれ別に存在しているのだが、CanadaWaterではOvergroundの掲示が見つからず、近くにいた警備員二人に"Where is the Overground station?"と聞いたら、肩をすくめながら"Overground is underground!!!"と教えてくれて、ちょっと面白かった。お兄さんの言葉を信じてUndergroundの掲示しかない地下ステーションへと降りて行ったらちゃんとOvergroundのホームが存在していた。

列車ではうとうとしていたお姉さんがハッとした顔で降りようとして、しかし勘違いだったらしく席に戻った際、わざわざ周りに"I have never been to this district!"と言い訳しているのに居合わせた。周囲は周囲で、"Yeah, Peckham Rye and Queens Road Peckham are confusing."と返しており、ああ、この街のこういう空気感好きだなあと思った。街の中すれ違う人々はさほど暗くは見えなかった。みんな淡々と生活をやっていて、いつも通り。朝コーヒーを買いに行っている寮のカフェでも、日本の元首相が逝去したときには"I'm sorry..."とお悔やみを言われたものの、女王の逝去についてはとくに言葉をかわさなかった。とはいえ、直近、こちらの企業からマーケティングにかかわる簡単な仕事をスポットで引き受ける約束をしていたのだが、それがなしになった。広告もSNSも止める、慣例上2週間はかかるだろうとのことだった。たしかに、街中のサイネージが白黒の女王に変わっているわけだもんね。

箱を運び出した部屋に戻ると、そこは他人のようによそよそしくなっていた。あとは今晩寝たあとに布団を捨て、洗顔用具や電子機器を荷物に詰めて、旅に出るだけだ。今日から12日間が喪の期間だというが、わたしはそのほとんどをイギリス国外で過ごす。とはいえ本来は9月8日のフライトで日本に完全帰国する予定だったのを大幅にずらしたという経緯があった。ヨーロッパから戻ってくれば「女王のいないイギリス」を肌で感じることができるはずだ。今後も繰り返し行われるだろうHer Majestyへの黙祷は、果たして何を代入される空欄になるのだろう。