It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

街と慰め

この街に来る前、この街のことを書かないかという提案をいくつかもらった。断ってしまった。わたしにその資格はないと思った。一年しかいない予定だし、年末年始に一時帰国するためのチケットをとっているし、最初からかなり腰砕け感があった。なんだかんだ真面目なので、引き受けると頑張って街を探索せねばと義務感を持ってしまい学業が疎かになりそうなのも心配だった。判断は正解だった。秋〜冬は日照時間の短さによる鬱と、授業についていくのに精一杯なのと、東京に置いてこれなかった疲れとで、ぼろ雑巾のようだった。世界がまだコロナでぴりぴりしている時期でもあったから、毎朝散歩してる公園の鳥や栗鼠のことだけツイートしていた。しても消していた。

越してきて、来月で一年になる。年末年始の一時帰国はコロナ発症により断念した。無料でフライトチェンジできたので、それでも四月に帰国した。一ヶ月以上いて、とにかく湯船と温泉につかりまくって、それは必要だった。でもお湯の中で好きなだけふやけたら、驚くべきことに、この街が恋しくなった。街がというか、この街にいるときの自分? 東京で久しぶりに抹茶フラペチーノを飲んで平和な気持ちになったけれど、ほぼ毎月、多いときは月に二度も展開される新作フラペチーノの速度には目が回って、いる間も飲まなかった。寒い日はカプチーノホットチョコレートで暑い日はアイスラテかミルクシェイク、程度の選択肢しかないこの街のコスタコーヒーのサービス精神の薄さにほっとする。家賃も物価も高いしそこそこの値段を出しても値段以上の感動が返ってくることが少ないことに最初はストレスを感じていたが、しぜん欲望が減り、当初思っていたより貯金も減らなくて驚いた。こちらに数年住んでいる人が「日本の三倍貯金が貯まる」と言っていた。給与レンジもたしかに高いのだが、使いどころがかなり少ない。演劇やミュージカル好きの場合は散財し放題だが、服とかコスメとかの目に見えるトレンドはほとんどなくて、フラペチーノに限らず、季節ごとに購買意欲を煽られるということがない。資本主義経済というパンドラの箱を開いたのはまさしくこの街だというのに、当人はふしぎなくらいに悠然としている。庶民から小金を搾り取っていく手管は、東京のほうが巧みだなと思う。コロナ禍も影響してはいるだろう。最近はさすがに観光客が戻ってきていて、セントラルロンドンは新大久保なみに混んでおり、あちらこちらの劇場や土産物屋で彼らが散財しているのは見る。今日はサウスバンクで映画を見た帰り、セントラルから来た12番バスに乗ろうとして、「ごめん、満員だから」と言われて一台見送った。春先には連日反戦デモが展開されていたトラファルガー広場も、今はすっかり外向きのすました顔だ。

毎日天気がいいから、人々はテラス席で酒を飲み、草むらや水辺でのんびりしている。

この前「ニューヨークではみんなスニーカーを褒めてくれるのに日本は……」というツイートが賛否両論を巻き起こしているのを見た。似たような文化の違いをこの街と東京にも感じることはあるが、あまり反射的に比べないように気をつけている。先のツイートは、「ニューヨーク」と「日本」を比較している時点でずいぶん雑だなと思う。わたしも最初の頃クラスで「日本では……」と話しては、同じく日本の、東京以外の暮らしを経験している同級生に「それ、東京のことです」とつっこまれ、いたく反省していた。

わたしは日本のうち東京しか知らない、ということを、この街に来てから実感する。東京で知り合うのは東京出身者か、地方出身だがすでに東京にチューニングされている人だった。この街で初めて、東京に一度も来たことがない同世代の日本人としゃべる機会を持つようになった。東京に一度も住んだことがない生粋の関西弁の女の子と、この街のパブで初めて会い、ギネスビールを飲みながら「自分、いつ来たん?」と初手いきなりタメ語で話しかけられているときに、いちばん「異文化交流……」と思った。ワーキングホリデーを利用して大阪・梅田でホストをしていたというイギリス人男性が「夏の須磨は最高、海の家でバイトしてたとき超モテた」と豪語し、神戸出身で今ワーキングホリデーでこちらに来ている日本人女性が「須磨とか、汚いギャル男と汚いギャルしかいないじゃん!」と返している間も、「須磨……歌枕の雅なイメージしかなかった……」と衝撃を受けていた。わたしの知識だけ一千年ずれていた。元ホストは「また日本行くときも絶対関西だね〜、東京とかどう考えてもノリ悪いやん」と言い切っていた。

住んでみて思ったのは、たとえ十年住もうが二十年住もうが、この街について自信をもって書けはしないんだろうなということだ。あまりにも人の出入りが激しい。街の速度はゆるやかだが、構成員は絶えず変わっている。わたしの通っていた女子校はそこそこ海外移住者が多いため、各地の首都に同窓会組織を持っているのだが、この街の会は正式な同窓会申請をしていないのだ、と先輩が教えてくれた。駐在や留学、ワーキングホリデーなど一、二年程度で帰ってしまう人が大半なので、申請時に求められている、定期的に会合を持つような運営が難しいらしい。対照的に、至近の大都市であるパリは、そこに住むと覚悟して十年以上暮らしている人が多い。話すと、同じ学校出身の日本人同士なのに、空気感が違うと言う。一年経つと血液がまったく入れ変わってしまう街。それなら逆に今わたしがいるこの瞬間のことを書くことをあまり恐れなくてもいいのかもしれない、と思ってから、ちょっとずつ街のことをツイートするようになった。

昨日は、過去にイギリスからファンレターをくれたのをきっかけに交流ができ、お世話になっているAさんとSOHOでごはんを食べた。緻密にウォン・カーウァイの世界観を再現した、Instagramableな香港料理店でとても美味しくて可愛かったのだが、置いているビールが香港ビールではなくて日本のASAHI ICHIBANだったところが、なんか、この街らしかった。Aさんとは二ヶ月に一回ほど食事をしている。六月にあったプラチナジュビリー(女王即位七十周年記念)の際には、リージェンツパークでピクニックをしながら、いっしょに航空パレードをみた。

Aさんは香港に留学後イギリスに来て、研究者をしている。日本の近代文学をよく読んでいて、「この前三島のことをブログに書いてましたよね、よかったらこれ読みませんか」などと、三島由紀夫の紀行文をまとめた文庫などを貸してくれたりする。こちらで日本の本の貸し借りができると思っていなかったので、とても楽しい。読者と編著者という関係からスタートしているので一定の節度をもつように心がけていたのだけれど、昨日はお酒が入っていたのもあり、お互いの個人的な話を深くした。翠玉色の急須から同じ色の茶碗にプーアール茶を注ぎながら、Aさんはいつになく抑揚をつけた口調で、それを話した。

「大学留学中に知り合って五年くらい片思いしていろいろあった相手がいたんですけど、結局振られたんですね。あまりにもショックで、夜の街に飛び出して走って、ベンチに座り込んで号泣してたんですよ。そうしたらべろべろって顔舐められて。散歩してるシベリアンハスキーでした。地面を見たら、"Falling in love and having a relationship are two different things."(恋することと関係を維持することは違う)って書いてあるビラが落ちてて。『犬に慰められる恋愛をしてはいけない……』と思って、目が覚めました」

人が入れ替わっても変わらないこの街の空気感が濃縮されたエピソードだと思った。街はゆるやかで、でも人々は自分のことを楽しんでいて、どちらもわたしたちのことなど気にしていなくて、適度に放っておいてくれる。いつもほどよい寂しさがあり、わたしは一人でいられる。でも、そこらじゅうを散歩している犬が、なんとなくそれを和らげてくれる。そういうところ。

……とこの街らしいエピソードを聞いたなあと思ったのがきっかけでこのブログを書いたのだが、ここまで書いてからAさんに確認をとったら「ビラを見たのはロンドンなんだけど、犬が慰めてくれたのは香港です!」と訂正された。わたしが感じた「らしさ」は完全に勘違いだった。でもわたしがこの街のことを「そう」思っているという話なので、ひとまず勘違いバージョンを書いた。そしてたぶん、ここでわたしが夜ベンチで泣いてたら街中を歩いている犬のどれか一匹が慰めてくれる気がする。実際この街に留学しようと決めた理由のひとつに「これ以上やっていると死ぬ……」と思った人間関係が存在していた。結果的に留学準備をしているあいだに解決していたのだが五年分くらい疲れたまま来てしまった。そうか、わたしはこの街中を歩いている犬たちのだれかにべろべろと舐めてもらえる可能性に少しずつ癒されながら、ここまで生きのびていたのだと思った。あとロンドンアイの存在はわたしにとっては大きい。わたしは観覧車が好きなので、ロンドンアイの姿は、犬の一舐めに匹敵する。寮からも見えるし、サウスバンクで映画を見た帰りに横を歩いて帰れるというこの環境に相当慰撫されている。

Aさんをはじめ、この街で仲良くなった人たちから「仕事、探せばなんとかなりますよ」「IT系はビザサポートとりやすいです」「院卒業後もビザ延長できる制度になったのにもったいない」と誘われると、結構迷う自分がいて、六、七月は花占いみたいに「帰る」「残る」「今日の気分は……残る」と心揺れていた。実はまだちゃんと決めていない。元は九月におさえていた帰国チケットを冬まで伸ばした。寮の契約が切れた後の滞在先を探すのがあまりにも大変で(家賃が高すぎる!)真っ青になっていたのだが、SpareRoomを血眼で眺めていたら、ちょうど条件にかなうフラットの持ち主からメッセージに返信があり、月曜のビューイングが決まった。

この街を好ましいとは思っているが、劇的な感情は抱いていない。たいして英語しゃべれなくても一年暮らせちゃうのが、ありがたいが優しすぎると思う。人種差別がヨーロッパの他都市や同じ国の他都市に比べてきわめてソフトだという点は素直に安心しているが。"Falling in love and having a relationship are two different things."なんだから、なんとなくビザ延長してなんとなく住んじゃえばいいじゃんという気がしなくもない。嫌になったら帰ればいいいんだし。でも就活したり就職したらしんどいことも増えるだろうなあ。根がワーカホリックなので、しんどいと好きになってしまう可能性がある。

この街に優しくされてわたしは、あの街の搾取や堕落をもっと言語化できるようになってしまった。疲れた、と言って出てきたけれど、この街に癒されたわたしは、またあの街で疲れたいような気がしてくる。スタバの新メニューに追われながら、ルミネでSTUDIOUSをのぞいて今週入荷した新作を眺め、歌舞伎町のキャッチを縫って道を歩いて、家のそばのファミマで限定ハーゲンダッツを買ってから家に帰りたい。堕落にひたって文句を言って、消費と人間関係と仕事がぐちゃぐちゃになって、犬すら慰めようがない生活を、愛して、憎んで、まだ絶望し足りていないのだろう。