It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

単著『沼で溺れてみたけれど』が出ました、そして会社を辞めて家を引き払いロンドンに行く

皆さん、こんにちは。

表題の通りですが、ひらりさ名義で初の単行本となる『沼で溺れてみたけれど』を刊行しました。

沼で溺れてみたけれど


FRaU web」の連載をもとに、いろいろな形で”普通の幸せ”から外れた価値観を持っていたり、出来事を経験したりした女性の話を聞き、私が感じた内容をつづるという本になっています。

 

愛・社会・しがらみをめぐる沼に溺れた女たち。
不倫・ママ活・スピ・推し・タワマン……
その先でそれぞれが見つけたものとは?
『浪費図鑑』の編著者がおくる、女たちの“お金”と“欲望”をのぞくインタビューエッセイ集


装丁は鈴木千佳子さん、装画はたなかさんです。実際の本の色味は、上の画像よりさらにポップで可愛い!書店でも埋もれない感じでほっとしました。

 

”沼”というのは現在、「沼にハマる」「沼に落ちる」というように、主にオタク界隈で、あるジャンルにどっぷり浸かり、お金や時間を使ってしまうことを指す表現として広まっています。本書ではその意味をもう少し広げ、人生において自分の激情やしがらみ、なんらかの対象への執着に絡めとられることを「沼で溺れる」と表現しています。

本を読んで、もしかしたら「取り返しのつくことばかりじゃん」と思う方もいるかもしれません。きっともっと壮絶な”沼”がこの世にはたくさんあるでしょう。ただ、だからこそ私が書きたいのは、私の隣でなんでもないように暮らしている女性の、うちに秘めた激情や、人生でこっそり抱えているエピソードなんだなあ、と今回本を作りながら改めて思いました。

20〜30代の女性に特に響く本だと思いますが、きっとそれ以外の方にも発見があるので、是非お手に取ってみてください。

 

 

 

 

さて、ここからは余談です。

この連載をやっていたから……というわけではないのですが、なんか自分も人生もっとめちゃくちゃにしていきたいな(?)と思い、この夏に会社をやめることにしました。ただフリーランスのライターとしての独立を決めたかというと、厳密には違います。家を引き払ってロンドンに留学し、(一部日本での執筆を続けつつ)現地の大学院で学ぶ予定です。

引き継ぎの挨拶時、これから何するの?と取引先に言われたときに、「留学」と言えばいいのに、私の口からとっさに出た言葉は「破壊と再生を……」だった……(笑)。ただ、この言葉は自分の気持ちに本当にしっくりきています。

20代は、夢中になれるテーマがいくつかあり、それを趣味で同人誌にしていたらありがたいことに「劇団雌猫」として認知され、がむしゃらに活動している間に終わりました。梅雨の時期はいつもダウナーなのですが、今年は脱稿疲れもあり、「私、今やっと頑張り始めたけど、20代って何もしてなかったなあ……もっと早く頑張ればよかったかも……」と落ち込んだり睡眠導入剤を導入したりしていたのですが、Amazonで劇団雌猫で検索したら12冊くらい本が出ていたので、認知の歪みにさすがに笑いました。

もっとも、雌猫の本は、自分で一から執筆したものではありません。たくさんの方の寄稿によって成り立っているので、企画・編集をした、という側面が強いですね、4人でやってるしね(それはそれで大変だしやりがいもあるし今後も予定があるのですが)。自分でものを書く機会が増えたのは本当に最近で、ひとりでまるまる執筆し、一冊の本に仕上げたのは今回の本が初めてでした。いや、本作るのってたいへんですね?????なんでみんなこんなことやってるんだ???

正直、最後のほう「80パーセントくらいの出来ではあるし、別にこれでも本にはなるじゃん」とゲラを目にするのを放棄しそうになりましたが、「まだゲラ、追い込めますよ」と周囲からお尻を叩かれながら何度も何度も見直して、「はじめに」と「おわりに」も何度も何度も書き直して、自分としては100パーセントの出力で形にすることができました。やっぱり本が仕上がってくると「100パーセント頑張ってよかった〜〜!」となりますね。よかった……。どうでもいいLINEをしているときに「はじめに、書き終わったんですか?」などと突っつきを入れてくれた友人もありがとうございました。

で、何が破壊と再生なのかというと(ちなみにこの言葉は小泉政権のスローガンだったのを今教えられたが私は忘れていた、小泉政権とは何の関係もありません)、今のところおかげさまで、いろいろ執筆依頼もいただくのですが、どうにも20代の時の貯金で書いてる部分があるな……と感じつつ、しかし私は意外と腰が重くて「でも会社楽しいし東京も楽しいし目の前の締め切りをやらないと…」と思っているうちに今月32歳になるのですが、もっと頭の中からいろいろなものを取り出したり、単純に自分の経験を切り売りするのではない方法を見つけたりするためには、今持っているものを一部手放して、新しく何かを吸収したり、今までと違う言葉との向き合い方ができるようにならないとな、そのためには既に固まっているように見える「自分」をめちゃくちゃにして、築いてきたように思っているものを入れ替えないとな〜、と思ったのでした。

そういうときに私は「ちょっとずつ」やるのが苦手で、会社を辞めて家を引き払って、これまでやったことのない分野で海外の大学院に行くことにしたのでした。なぜその結論に?と今の自分も思っているが、一応昨年出した志望理由書には意味の通ったことが書いてあります……。10年ぶりに連絡した法学部ゼミの担当教授にも納得してもらった……。

本当に破壊と再生ができるのか、コロナ禍だけど大丈夫なのか、そもそもビザの申請に手をつけていないが間に合うのか、家にある積読の山がもはや本の墓場状態になっているのをどうするのか、かろうじて渡航できたとしてお前は本当に英語で論文書けるのか、ポンドが信じられないくらい値上がりしているのだが有り金は現実的に足りるのか、その後何をするつもりなのか、など、懸念事項は山積みでこの春は不安に押し潰されていて気分がジェットコースターのようだったのですが、流石に自分で決めたことで別に誰に強制されたことでもないんだから、まあやるか……と、とりあえず本の墓場から手をつけ始めました。間に合って欲しい。間に合わないと東京でひっそり無職をやりながら、ロンドンに行っているフリをしないといけない。

10年前は、まだ法科大学院に行くか悩みつつも受験勉強していた頃で、自分がこんなことになっているとは思っていませんでした。5年前の夏は、「シン・ゴジラ」にハマりすぎて5〜6回劇場に行っていた、それでシン・ゴジラでなんか同人誌作ろうよ〜〜と今の雌猫メンバーで盛り上がったんだけど結局二転三転して年末に「悪友 vol.1 浪費」を出すことになったのだった。ここまでたくさん同人誌と商業書籍を出して、5年後に個人名義で本を出すことになるとは流石に思っていなかったな。30歳すぎて人生が続いているとも思ってなかったし。5年後、10年後がどうなっているか、本当にわからないし、もっとわからなくしたくて留学に行くのかもしれない……何もわからないが……。

自分自身、わからないことだらけの人生だからこそ、きっとことあるごとに『沼で溺れてみたけれど』を読み返して、励まされるんだろうなと思います。皆さんにとってもそんな本になれば幸いです。


それにしても、これまでいろいろなテーマで執筆や連載をしてきましたが、結局どれも「女の個別化」というテーマでくくれるな、と実感しました。本書では”普通の幸せ”というステレオタイプは存在しないのではないか、というのが裏テーマになっているのですが、それと同時に、”普通の女”というのも存在しないんじゃないか、と思っています。一人ひとりの女性の物語が世に残ることで、”女”を個別化していきたいというのが、いつも私の胸にあります。

自分の人生も一括りにされたくね〜と思いつつ、まずは目の前のTO DOを頑張ります。