It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

「自分ひとり」の練習

昨年9月から一年間、英国の大学院に通っている。秋学期を終えた1月、最初の振り返りブログを書いた。

 

zerokkuma.hatenablog.com

二学期めにあたる春学期は4月頭に終わったが、宿題が終わらなかったので、今日まで書けなかった。スケジュール的にもそんな場合ではなかったし、精神的にも困難だったのだが、やっとなにか書く気になった。前回は、自分と同じように社会人留学を検討している人を意識して、「イギリスの大学院に留学するってこんな感じ」の情報を残そうと思ってブログを書いたが、今回は公共に資する目的は薄く、ほぼ、私による私のための文章である。ただ、いちおう「留学してるけどなんか調子悪い」「ステイホームおさまりかけてるけどなんか調子悪い」という人にも何か得るものがあるといいなと思っている。その目的から詳細に書いたこともあるし、その目的からあえて省いたこともあるのは言い置いておく。

 

春とストライキで心折れる

秋学期、私の心は、ストライキとオミクロンと大英帝国の大雑把さの洗礼で千々に乱れていた。だから、春こそは心おだやかに過ごせるのではないかと思っていた。だって英語も結構聞き取れるようになってきたし、ロンドンでできた友達とベルリンに旅行するし、年末にあきらめた日本への一時帰国もあるし。じっさい授業の理解度はだいぶ上がったし、ベルリンのビールは美味しかったし、ロンドンの感染者の再増加をのりこえてPCR陰性を勝ち取り、ぶじに日本へ入国できた。

夢にまで見た深い湯船に体をしずめ、中目黒のヘアーサロンに行って、ロンドンの硬水と強力なカラー剤に痛めつけられた髪の毛を緊急治療した。中目黒はちょうど桜が満開で、ヘアーサロンへの道すがら、お花見もできた。帰国翌日は、この半年のなかで、たしかに一番おだやかだったと思う。

ただ、日本の春というのは、べつに私と相性がいいものではなかった。はじまり、変化、出会いといったキーワードが、心身にスイッチを入れろと語りかけてくるわりに、突如寒くなったりにわか雨が降ったり、気圧がぐわんぐわんと乱高下したりする季節。宿題があるから、と人との予定はあまり入れないようにしていたのに、結局うまく机にむかえず、「今日会える?」と人に急に連絡を入れて飲みに行ったり、自分以外の人間の生活音に耐えられずに都内でホテルに泊まったり、だらだらとLINEやTwitterを見たりするうちに日々が過ぎた。3つの課題のうち、2つはロンドンにいる間に構想を練っていたので、どうにか書き終えることができたが、1つはまったくとっかかりが浮かばないままだった。

課題の提出締め切りは4月末。余裕をもって提出して一時滞在の後半は息抜きしまくるぞと思っていたが、春休みに入る時点で、予定の進行から3週間ほどずれてしまっていた。そのままでは明らかに間に合わなかったが、学部から「締め切りを5月13日にずらす」というアナウンスがあった。これは春学期に4週間のストライキがあり、学生が不利益をこうむったと認定されたためである。ひとまず安心したものの、そもそも私を不調にしていたのは、季節以上に、このストライキだった。必修科目の担当を論文の指導教員でもある大好きな先生が行うことになっていたし、「Gender Affect and the Body(ジェンダーと情動、身体)」というテーマにも心躍らされていた。のに、その約半分のテーマが受けられなくなった。もうひとつの選択科目で「Mediating Violence(媒介する暴力)」も、ストライキ期間は完全に授業がなく、先生は学生へのメール返信も行わないと通知された。秋と通算して9週間のストライキ。今学期こそは頑張るぞ、と期待してしまっていただけに、傷は深かった。

さらに、学部やコースによって学生が受ける不利益がまちまちであることが、ストレスを倍加させた。ストライキにどれだけコミットするかは、先生や学部ごとに異なるためだ。「え、うちは授業あるよ〜!」「社会学部(私の学部)以外は、『とりあえずどこか一つの授業がストライキに参加してれば義務果たしてる』って空気あるよ」みたいなことをフラットメイトに言われると、すごく理不尽な気がしてしまった。ストライキが教職員にとって当然の権利、というのは理解している。ストライキに正式に参加している教職員は、その間の給料を受け取ることもできない。今回のストライキは、春に行われる大規模な事務職員リストラを阻止するものなので、積極的に参加している先生は、自分の権利そのものではなく、同僚の権利のために身を削っているわけだ。わかってはいるので尊敬しているし、自分もそういうふうに生きるための一助として大学院にジェンダー論を学びにきたくせに、「4週間ストライキしてもダメだったんだから、ネゴシエーションが適切ではないのでは?」とか「どうせ授業ないんなら、日本に帰国するの春休みまで待たなくてもよかったじゃん! 早く風呂に入らせてくれ〜!」とか、一ミリも思わないのは難しかった。

また留学生にとっては、対面授業は他人と顔をあわせるほぼ唯一の機会でもある。学校外にかろうじている知り合いと遊びに行ったり、日本の友人とLINEや電話をしたりしてやり過ごしたが、知らず知らず、世界中からないがしろにされているようなどす黒い孤独感が澱のようにたまっていったのだと思う。

無駄に高まったプレッシャー

とはいえ、現実的に立ち塞がった最大の問題は、課題執筆のための自習に難儀したことだった。私のコースでは、秋と春それぞれ2科目ほどを履修し、講義に関連したクエスチョンリストが学期半ばに公開され、そのクエスチョンから一つ選んでエッセイ(小論文の意)を執筆して評価を受ける。春学期は、

  • 「Gender, Affect and the Body」のために5000〜6000語のエッセイ
  • 「Mediating Violence」のために4000〜5000語のエッセイ
  • 「Mediating Violence」のために1000語前後のリアクションペーパー(自由テーマ・形式)

を書く必要があった。私の英語力だと、ノッていれば1日800〜1000語ほど書けるので、単純計算では2週間あれば課題は終わる。しかしアカデミックライティングというのは単に心に浮かんだことを書いて、語数を埋めればいいわけではない。先行論文を「読む」時間が必要だ。

秋学期に課題を終えた際、以下の各フェーズに均等に時間を使うように意識すると(私にとっては)ちょうどいいぞという相場感を得た。

 

読む1:根拠となる先行論文を読んでリーディングノートを作る

読む2:そこからクエスチョンへの回答と、自分なりの発展的なアイデアを考える

書く1:構成を決めて、初稿を書き上げる

書く2:プルーフリーディングを受けて、推敲する

プルーフリーディング(proofreading):校正を指す言葉。英語圏の大学院では、論文を第三者にチェックしてもらい、文法・表現だけでなく、内容面にアドバイスを受けることを指す。修士論文や入学出願の書類につける人は多いが、各学期の課題につけている人は少ないと思う。

つまり今学期も、2週間ではなく、8週間は時間をとっておくのが理想である。そんなわけで3月頭から課題のことは考えはじめ、「Gender, Affect and the Body」のエッセイについては、クリステヴァのアブジェクション理論(幼児は母親を「おぞましいもの(abjection)」として「棄却(abject)」することで自我を世界から分離するという哲学理論)をベースに、女性を主人公にしたカニバリズム映画を映画現象学の観点から評価するアイデアを、「Mediating Violence」のクリティカルペーパーでは、ロシアによるウクライナ侵攻をヨーロッパに滞在している日本人としてどう感じるかを、書くことに決めた。これら二つについてはレファレンスも探しやすく、文献閲読はかなり前倒しで行うことができた。

しかし、課題の執筆を開始するのはおそろしく遅れてしまった。ストライキで学習のペースが乱れ、モチベーションが激しく落ちていたのはある。想定外だったのが「前学期にやたら良い成績をとってしまった」のがプレッシャーになったことだった。前の学期にも3つ課題を提出したのだが、その3つともの評価がDistinct(優)だったのだ。英語表現はプルーフリーディングの助けが大きかったが、それでも嬉しかった。秋学期のエッセイにかんしては、エッセイクエスチョンと自身の体験がちゃんと結びついたアイデアが3つともすぐ浮かんでおり(関心がある方は前回のブログを参照ください)、それが評価されたのだという確信もあった。

この成功が、春学期の課題に対する気持ちをかえって重くしてしまった。秋学期の課題をはじめたときは「単位を落とさないのが目標」だったのに、自分のなかで自分へのハードルが上がってしまい「Distinctをとるのが目標」になってしまった。

並行して、じつは、日本語の文章を書くうえでも自分の中でプレッシャーが高まっていた。きっかけは、2月に「SFマガジン」でBL特集の監修・評論の寄稿をしたことだ。

 

このときの評論の執筆作業も、「自分がこれまで書けると思っていた文章の幅や質が、ぐっと上がる」という体験だった。読んだ方にとってどういう感想かは、それぞれだと思うけれど、自分としては、秋学期に大学院で学んだ「先行文献をよく読む」「それに基づいて文章を書く」トレーニングが還元された結果、想像以上のものが書けた。これまでも、すべての仕事について、依頼されたことにこたえるために必要なことをやり、書いてきたとは思っている。しかし、今回は「依頼にこたえる」を目標にするのではなく「大学院でのトレーニングを仕事に生かしてみる」「採算度外視で時間をかけて資料を読み込んでみる」をやったら、ちょっと違うものが見えたな……と感じた。

嬉しかったのだが、これもまた、プレッシャーを生んだ。めちゃくちゃがんばるとめちゃくちゃ良いものが書けるとわかると、助走が十分なのか逡巡してしまい、執筆を躊躇してしまうモードに入ってしまったのだ。当たり前のことなのだが、「がんばる」ではなく「めちゃくちゃがんばる」となると、ひとつひとつの原稿が心身にかける負荷レベルも変わる。私は、それにあわせたスケジュール調整を体得していなかった。依頼仕事には短期的な締め切りがあり担当編集という伴走者がいるので、どうにか執筆をはじめ、終えていったが、どんどん後ろ倒しになったのが、大学院の課題だった。提出期限直前の数日で帳尻がつくものではないので、遅れれば遅れるほど、胃が痛くなっていった。「Mediating Violence」エッセイのアイデアが思いつかない、というのも、焦りを加速させた。

ウクライナソーシャルメディア

もう一つ、この春イレギュラーだったのが、ウクライナ侵攻である。いや、イレギュラーというのは、私の主観だ。私が「この春」「始まった」と思うずっと前から、いろいろなことが進行していたのはわかっている。そして、ウクライナ侵攻が始まっていなくても、シリアもアフガニスタンミャンマーでも香港でも暴力は起きていたし、コロナに関してもまだ何も終わっておらず、今も無数の出来事が起き続けている。

ジュディス・バトラーは『Frames of War: When Is Life Grievable?』という著書で、Grievable(嘆きうるもの)という概念を用いている。ざっくり説明すると、人はLivable(生きている)と感じる生命のことしか、Grieve(嘆く)ことができない。そして現代の戦争はLivable/Unlivableの線引きを権力が恣意的に行い、Grievable/Ungrievableを巧妙に操作することで、批判されたり正当化されたりしているのだという主張だ。9・11と、それに続く米国のアフガニスタン侵攻の後に書かれた本である。

(清水晶子さんによる日本語訳が出ていますね。私の理解は私の英語力で原文の一部をざっくり一読したものなので、ちゃんと知りたいかたはこちらをぜひ…)


とはいえ、人間は何かが「起きている」「続いている」ことを毎日、たくさん考えてしまうと、正気ではいられないだろう。暴力はとくにそうだ。だから、正気でいるために、人は忘却や沈黙を選ぶ、とされている。

 

Silence was his response. Silence has become his language ever since

A—Diba (2015) ‘Silences, Insecurities, and Broken Promises: Writing “Survival”’, Journal of Narrative Politics, 2(1), pp. 13–17.

 

侵攻が報道されてから数日で、「あまり戦争のことを考えていて限界になってしまったので、日常に戻ります」とツイートしている人を何人か見た。自分の心を守るために正しい判断をとっていて、えらい。私も戦争と日常を区切りたいと思った。が、私には、「起きている」「続いている」と認識してしまったことと、自分の生活は、宣言すれば区切られるたぐいのものではなくなっているように思った。もちろん、ツイートした人たちだって、それで本当に区切ることができたかわからない。SNSによって、人類史上もっともリアルタイムに、他者が受けている暴力と、自分が生きているこの場所が混ざり合っている、精神的に地続きになっている状況が生まれてしまっているのに。

まさに「暴力」についての授業を受けていることで、いろいろな立場の意見を見聞きできることも、(本来はポジティブなことなのだが)気が滅入る原因だった。侵攻開始の報道を見て、寄付を行ったりデモに参加したりした後、学校の先生から「ウクライナ情勢をめぐる、ヨーロッパ主義的で植民地主義的な言説に心を痛めている留学生も少なくないと思います」というメッセージが来た。デモで撮った、青と黄色にうめつくされたトラファルガー広場の写真は、iPhoneのカメラロールで眠ることになった。

なにが「正しい立場」なのか、全然わからない。そもそも私は、今ここで9週間のストライキに耐えていっぱいいっぱいの私は、「正しい」「立場」や「行動」をとる余裕がない。それなのに勝手に(勝手に、である)、世界中から「立場を言え」「行動をしろ」と言われている気がしてきて、しんどかった。ウクライナにかぎらず、国際情勢に限らず、いろんな「起きている」「続いている」ことに対して。とりあえず、Twitterアプリをホーム画面から消すことにした。

が、Twitterを減らしたから、心身のバランスが戻るわけでもない。行き場をうしなった感情や言葉がTwitter以外の場所で爆走し、そこに春の気候が妙な元気をあたえ、うまくいかない課題が不安と承認欲求を増大させ、現実逃避のために飲み会やおしゃべりやLINEを求めるエネルギーが増大してしまった。

自分ではダウナーなときよりは調子がいいつもりでいたのだが「めちゃくちゃ疲れているので、むしろ動いたりしゃべったり他人とコミュニケーションするのが止まらない」状況に陥っていたらしい。また、ウクライナについてはさておき、あえて身の回りで「不安定な気持ちになる物事」を見つけだし/作り出し、その不安を逐一他人に吐露し「そうでもないよ」と励ましてもらう、というサイクルが強化されてしまっていた。いくつか、コミュニケーションにおいて反省する出来事があった。似たような状態になったことは過去にも都度あり、自己モニタリングと慎重さを保ち続けていれば、避けられたと思う。

 

液状の心を入れる箱

冒頭で「留学したけどなんか調子悪い」「ステイホームおさまりかけてるけどなんか調子悪い」人向けだと宣言したが、思っていた以上に、私による私のための文章になってしまった。できるだけ淡々とは書いたが、淡々としていることは客観的であることを意味しない。主観だらけだから、周りの友人から見たら、見当違いのことが書いてある可能性もあるだろうし、別の意見もあるだろう。

経験上、反省・分析のテキストをこねくりまわしても、それが将来に大きくメリットを与えたことはあまりない。それでもとりあえず、自分の身の回りの様々なことへのモードを「起きている」から「起きた」にするために、この文章を書いたのだと思う。世界の「起きている」「続いている」に向き合うのも、結局、どこかに線を引くところから始まるようにも、今の私は思っている。というわけで、まず課題を「存在していない傑作より、書き上がった駄作」ととなえて、3つ必死で終わらせた。

 

ここから、さらに個人的なことを書く。

歌人の上坂あゆ美さんが、先日刊行されて爆裂ヒット中の歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』の献本時に、こんな言葉を添えた手紙に送ってくれた。

ひらりささんは悩むのが趣味みたいなところがあるけれど わたしはいつもひらりささんの健やかな人生と幸福を願っています

悩むのが趣味! 的確すぎる。おそらく健やかな「悩み」も、世の中にはあるだろう。ただ、私は「悩む」を、私の自我や事情に他人を巻き込む道具として使いがちで、何重に不健康なのである。

4月末に上坂さんと行うトークイベントの準備をするなかで、上坂さんの歌集と、この手紙を読み返した。上坂さんは私よりもはるかにカラッとした、自立した人間なのだが、たまに「似ている」と言われることがある。なぜなのだろうと思っていたのだが、何か共通点があるとするなら、それは「世界/他人に対して、間違えつづけている自分」の感覚の強さなのではないか、と歌をよみかえしていて気づいた。

 

感覚的な人になりたくてまず辞書で「かんかく-てき」を引いている夜

 

「かわいー」の言葉が試験問題と気づいたときはもう遅かった

 

上坂さんの歌集は、離婚や貧困、地方へのルサンチマンなど、「大多数の人が経験しなかった環境でのサバイバル」を追体験できる面白さを持っているのは事実だ。ただ一方で、自分が魅力を抱くのは、「まちがっちゃっている自分」を普遍的に描いた歌が多いように感じた。そして、上坂さんは、自分の側だったり相手の側だったりを「ただしい」「まちがっている」とジャッジするその感覚ごと、自分を生み直していくような工程を経たからこそ、この歌集をつくれたんだなあと思った。

ただしい/まちがっているを軸としすぎるとき、そこには、世界や他人は(このまちがっている自分より)客観的なものさしを持っている、という、一種のもたれかかりがあると思う。私の場合、それは、自己と他人、世界のあいだにうまく線を引けていない感覚ともつながっている。過去によく使っていたLINEスタンプで、ピンクのうさぎがどろりと溶けているというものがあるのだが、これはかなり、”駄目”バージョンの自己イメージと近い。

(こんなにかわいいものではないが)

いちおう私の場合、完全に自他の境界がないわけではない。「役割」があると大丈夫なので、「同僚に対する私」とか「インタビュイーに対する私」とか、仕事が関わる場面ではわりとうまくやっている。役割が、自我の衝立となっていると問題が起きることがすくないのだが、それがない場合は、かなり注意してないと、一気に”駄目”になってしまう。

歌集をあらためて読んで、上坂さんとイベントをしたら、世界や他人に、私の答えにお墨付きをもらいたいという感覚を希薄にしたいなと思った。言い換えると、液状化しつづけている自分の心を入れる特別製の箱をつくりたい、という気持ちだ。世の中には、そもそも心が液体ではない人と、液体だとしても、きちんと箱を持っている人がいる。ソーシャルメディアに入り浸ることで心の形が変わっている人や、箱が壊れてきた人もいるのかもしれない。

ヴァージニア・ウルフは、女がものを書くには年収500ポンドと、鍵がかかる「自分ひとりの部屋」が必要だと言った。私には今ほぼ年収はないし、この1ヶ月半は実家暮らしで、鍵がかかる一人の部屋もなかった。しかし、そもそもそれ以前になかったのが、「自分ひとりの自分」なのだなあと思った。

 

そういえば穂村弘さんの、『短歌という爆弾』(小学館)を読み返したのも、自意識と世界のかかわりや「自分ひとり」を考え直すうえで、とてもよかった。

 

逃げ回る言葉をつかまえそこねたり、暴れ回る言葉を強く握りすぎてぶっ潰してしまったり、失敗の連続だったが、気にならなかった。もともとの自分の〈駄目〉さに比べたら、そんなことはどうでもいいことだった。

(中略)

あれはまちがいだった。あれはまちがいだった。世界を変えるための呪文を本屋で探そうとしたのはまちがいだった。どこかの誰かが作った呪文を求めたのはまちがいだった。僕は僕だけの、自分専用の呪文を作らなくては駄目だ。ああ、そうか、ともうひとりの僕が思う。三階教室の窓の外には、名前のわからない樹の先っぽが揺れていた。

 

10代のときに絶対図書館で手にとっており、Kindleで2019年に購入しているのだが、こんなくだりがあるのを全く覚えていなかった。こんな良い文章のことを完全に忘れていたって、どういうことなんだろう。物心がついてなかったんだろうな……。

というわけで、iPhoneを切る時間を長くしたり、本や歌集を読んだりして、残り半年の留学を、別のしかたで過ごしたいと思う。