今年の3月、メンズ雑誌「GQ」の「アジアを越境するボーイズラブ」特集に参加した。
「2gether」に代表されるBLドラマブームに端を発する特集で、私はBLレーベル出身で本屋大賞を受賞された凪良ゆうさんのインタビューと、初心者に薦めたいマンガ・小説を10冊ずつ紹介するコーナーを担当した。過去作を読み返したり、新しく読んだり、とても楽しい仕事だった。
その一冊として選書したのだが、先日ブログに書いたサリー・ルーニーの『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』を読んだあとに、ミレニアル世代の作家つながりで思い出した作品がある。二見書房ザ・ミステリコレクションの『赤と白とロイヤルブルー』だ。
著者名からも分かるとおり、翻訳小説だ。BLレーベルから出ているわけではないのに、どうして存在を知ったのだっけ……。記憶を掘り起こしたところ、刊行当時「BL好き必見」と銘打たれ、全米ベストセラー1位となってドラマ化が決定している旨を紹介した記事が出ていたからだった。
「GQ」でのブックガイドでは、あくまでBLに興味を持っている人向けに紹介したのだけれど、今回改めて読んで、ロマンス小説としての完成度、かつジャンルの約束を越えて設計された綿密なディテール、それを120パーセントやってのけた著者の情熱と意思の強度にすっかり圧倒された。
主人公のアレックスは、21歳の大学生。テキサスで生まれ、庶民的な感覚を持つ彼だが、同級生と一つ大きな違いを持っている。それは母親が、アメリカ史上初の女性大統領であること。姉のジューン、副大統領の孫のノーラとともに「ホワイトハウス三人組」と呼ばれる彼は、ソーシャルメディアやゴシップ誌を通じて同世代のアイコンとなることで、政権の支持率にも貢献している。
母親エレンの再選をかけた次回の大統領選挙に向けたキャンペーンが徐々に走り出す中、アレックスは大きな失態を犯してしまう。招かれたイギリス王室のロイヤルウェディングの結婚式で、花婿の弟にして王位第三継承者であり(女性誌への登場回数でアレックスと競うライバルでもある)ヘンリー王子と小競り合いになり、七万五千ドルのウェディングケーキを倒壊させてしまったのだ。
米英戦争勃発かと騒ぐ世間を宥めるため、エレンはアレックスに「ロンドンへ行き、ヘンリー王子と仲良しであるとSNSでアピールしろ」と言う。もともとヘンリーに屈託を抱いていたアレックスは最悪の気分で母親の指示に従うが、ヘンリーと交流し、その素顔を知るうちに心惹かれていく。
アメリカ大統領の息子と英国の王子が恋に落ちたなら?というアイデアは、刺激的で最高にロマンティックだけれど、現実的にはありえないことだ。私がそうだったように、本書を手に取る読者たちは、浮世離れしたロマンス小説として読み始めることだろう。実際、ロマンスとしての醍醐味もふんだんにある。
「何が言いたいか、よくわからないよ」アレックスは言う。
「わからない?」
「ああ」
「本当にわからないのか?」
「ほんとに、ほんとに、わからない」
ヘンリーはもどかしさに顔全体をくしゃくしゃにして、目を上空へ向ける。冷酷無比な天空に助けを求めるように。「きみのにぶさは絶望的だ」ヘンリーは言い、アレックスの顔を両手ではさんでキスをする。
「はるばるここまでぼくを侮辱しに来てくれてうれしいーー」
「おい、ぼくは君を愛してるんだぞ」アレックスはなかば叫ぶように言う。ついに口にした。もう取り消せない。ヘンリーはマントルピースにもたれたまま、微動だにしない。王子がごくりと唾を呑み、あごの筋肉をひきつらせるのを見て、アレックスは不安で失神しそうになる。
「ああ、全く、面倒かけさせやがって。それでも、ぼくはきみを愛してる」
しかし、本作に、ロマンス小説として求められる以上のリアリティを持たせて、(クソッタレな)現実を打ち破ろうという強い意志が著者にあることが、以下の三つの観点からうかがえる。
一つ目は、デジタルネイティブが親しむ固有名詞の洪水(BTSまで出てくる!)。
「賭けは賭けだよ。一ヶ月以内に新たな噂話が出れば五十ドルだったよね。ちなみに、ぼくが使ってる送金アプリは<ベンモ>だから」
「ロイヤル・ウェディングも、ロイヤル・ウェディングをする王子もくだらないし、そもそも王子を存在させる帝国主義がくだらない。全部まるごとくだらないカメだ」
「それがあんたがTEDで発信したいこと?」ジューンがちゃかす。
「アメリカも大量殺戮帝国なんだけど、それをわかってる?」
二つ目は、ロマンスとともに展開していく選挙キャンペーンの綿密さ。
二〇一六年、母が本選挙で勝利をもぎ取ったとき、最大の悔いとして残ったのがテキサス州を取り逃がしたことだ。母はニクソン以降ではじめて、大統領選挙に勝ちながら居住州で負けた大統領となった。元来が共和党支持州のテキサスだから意外ではないのだが、みんな最後には”ロメタの穴馬”がテキサスを取るのではないかというひそかな希望をいだいていた。それは叶わなかった。
最後は、周辺人物が有している、多種多様なバックグラウンドが、アレックスの目覚めを通じて可視化されていく過程だ。
「でも、ぼくにはそれを教えてくれる人が必要なんだよ。きみはどうしてわかったの?」
「さあ、どうしてかな。高校二年のとき、女性のおっぱいをさわったからかな。深遠ななにかなんて、まるでなし。オフブロードウェイの戯曲にはならないわね」
「あの、ぼくたちいちゃついたことがあっただろ? あれは、その、なにか意味があったのかな?」
「ぼくがその質問に答えてあげられるとは思えない…(中略)…いまきみがセクシュアリティのことでどんな危機に直面しているか知らないけど、あれからの四年でわかったことがあるはずだ。いいかい、高校時代にぼくたちのあいだにあったから、きみがゲイになったとか言いたいわけじゃない。でも、ぼくがゲイなのは確かだし、当時はゲイジャないみたいにふるまっていたけれど、ぼくはあのときからゲイだった。
放送のなかほどで、声援を送る群衆の先頭にいるエイミーが映る。ジューンの黄色い”歴史だって?”Tシャツを着て、トランスジェンダー・プライド・フラッグのピンバッジをつけて。
ここでは性自認・性指向にかかわるシーンを引用した。しかし人種や社会階級についても、とても意識的に描写がされている。ケイシーはこれらを徹底的に書き込み、その上でアレックスとヘンリーの恋愛を成就させる。それはつまり、人々が諦めていることーー同性同士が愛し合うことを含めて、世界が多様な人々を認め合い、共存できる場所となることーーが不可能ではないと説得する試みだ。
ケイシーは1991年生まれで、バイセクシュアルであること、ADHDであることを公表し、さらにノンバイナリーでもある(英語版のwikipediaでは「They」で記述されている)。『赤と白とロイヤルブルー』はケイシーのデビュー作なのだが、構想は2016年の頭に生まれたのだという。その後起きたトランプの当選により一時絶望していたが、だからこそ「おもしろ半分のパラレルワールドになるはずだったもの」を「信憑性がある程度にはちゃめちゃで、でも、多少ましな、多少希望をいだける世界」にすることに決めたのだと、後書きに書かれていた。
本書のエピグラフにはこう記されている。
「for the weirdos & the dreamers(変人と夢想家に送る)」
ディストピアと化した現実社会を覆したいという全力の祈りを、明るく愉快に大真面目に形にしたロマンス小説だ。
……ちなみに、私が『赤と白とロイヤルブルー』を再読して、「この版権獲得して日本で出した二見書房はすばらしいなあ……さすが天下のシャレード文庫(数々の名作を世に送り出している老舗BL小説レーベルなのです)を擁する版元……」と感動していたら、まさに版元Twitterがバズっているのを観測した。
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— 二見書房 ミステリ&ロマンス・コレクション編集部 (@futami_honyaku) 2021年9月12日
このツイートを見て、「もっと売れてくれ〜〜」と思って書いたので、気になった方、ぜひ買ってください!