It all depends on the liver.

飲みすぎないように文章を書く

「悪友 DX 美意識」刊行に寄せて――あるいは、私が安達祐実だったころ

最初にことわっておくと、これから私がする私の話自体は、美意識というよりも自意識の話です。あらかじめご了承ください。

 

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幼少期、安達祐実に似ていると言われていた。
改めて比べてみると「似てないじゃん!」とツッコミを入れたくなるし、その真偽はまったく疑わしいが、まあ当時の写真をみると、幼児の私はなかなか目鼻立ちがはっきりしていて、客観的なかわいさを持っているように思われる。少なくとも私も、人生において、幼少期の私の顔のことはわりと好きだ。

 

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客観的な評価は置いておいて、長子というのはだいたいかわいがられるものであり、「自分が出産するまで正直子供なんてうるさくて小汚くていらないと思っていた」とサバサバと語る母も、私のことをかわいいかわいいと言って育ててくれた。初孫を得た祖父母はなおさらである。クラシックバレエリトミックといった「お嬢様」っぽい習い事にも行かされて、9歳くらいまでは、私自身、主観的にも客観的にも自分のことを「かわいい」女の子だと思って育った。

しかし、悲劇は起きる。

デフォルトで「かわいい」と言われ幼少期までは母に丁寧に身だしなみをととのえられて大きくなった私は、自分で身だしなみをととのえるという技術を身につけずに育ち、そこに中学受験でバレエをやめたことによる運動不足と暴飲暴食がくわわって標準体重より太めになり、制服のない女子校に入ってしまったせいで「同じ制服を着た状態で互いに比較される」という機会も回避して、ボサボサの髪で、ダサくて体型を隠すような私服ばかり着るようになり、さらに成長して顔かたちも変わって「メンデルスゾーンに似てるよね」と言われる感じになり、客観的に「かわいくない」「綺麗じゃない」女の子になっていった。

さすがに主観的にも「かわいくない」「綺麗じゃない」ことは自覚していたが、かといって「かわいくする」「綺麗にする」必要も当時はなかったため、私服はさらにダサくなり、大学受験でさらに太り、「とりあえず写真にうつらない」という努力だけが行われた。両親の離婚によるどさくさもあって、「一番かわいくない時期」の写真が手元にないのは救いである。

暗黒時代は10年ほどつづいていたが、それが暗黒時代であったことが本当に自覚されたのは、大学に入学してからだった。

ガリ勉とアニメ&BLCD視聴だけを行う暮らしを経て東京大学に入学した私は「まあ大体みんな同じくらいもっさりしているだろ」と高をくくっていたが、まったくそんなことはなかった。男子はたしかに80パーセントくらいがもっさりしていて髪もボサボサで服もださかったが、女の子の60パーセントくらいは最初からかわいかった。大学新聞サークルに入って「キャンパスガイ」「キャンパスガール」(キャンパスのかっこいい男の子とかわいい女の子を紹介するコーナー)というちゃらついたコーナーを担当することになり、学校中で女の子をスカウトしていた経験も踏まえての実感だ。キャンパスガイを探すほうが大変だった。

というのも入ってみると実感するのだが、東大に入ってくる女の子の大半は「頭のいいお父さんと顔のいいお母さん」の間に生まれているので、元の素材とセンスの両方が良いのである(ちなみに我が家は、母も東大生なのだが、母は子供の頃から今までずっと美人で几帳面で性格もいいので、大学時代もモテモテだったそうです)。

「今からがんばらないと……」ということは自覚したものの、頑張る方向性がわからなかった私は引き続き法科大学院受験の勉強をしないといけないことを言い訳に、ダサいファッションセンスをこじらせ、髪はボサボサで、全身がブクブクしたままだった。メイクもほとんどしなかった。この時期の写真もやはり存在しない。

そんな私が27歳現在、自撮りをFacebookInstagramに上げたり、仕事上の必要に応じて顔出しをすることに抵抗がなくなったのは、ひとえに「かわいい・綺麗には素材も大切だが努力とコスト投下も大事だし、かわいい・綺麗になろうという努力をすればリターンもあるし何より自分が楽しい」ということを、社会に出てからようやく理解したからである。

紆余曲折あって5kgのダイエットを行い、毎週ジムに通い、髪の毛を月1回ちゃんとした美容院で切って毎日乾かすように努め、変なヒラヒラや柄のついた服を着るのをやめ、日々化粧水をつけて丁寧にメイクをし……という細かい努力のやり方を覚えたことで、「どうせブスだし」という言い訳をしなくなった。

別に顔や見た目で得をするような「かわいい」「綺麗」は手に入れていないし、「素材が一番」という信仰を持っているので、引きつづき相対評価でいうと自分のことは中の下くらいだろうと考えている。素材が良い女の子に対する執着も激しい。本当に顔そのものが好きな女の子にしか「綺麗」という言葉は使わない。一方で、SNS上で担当した記事関連で炎上が起きたときに「こいつブスじゃん」と容姿をいじられたときはマジでムカついた。いつかあのときの愚痴垢の中の人間の顔をみて「ブス」と言ってやりたい気持ちはずっと持っている。しかし、少なくとも自分の人生の段階ごとと比較すると、今が幼児時代の次にマシなのではないかという評価にはなってきたせいか、人に「ブス」と言われてもあまり気にしないようになってきた。

もちろん、本当に「綺麗」になりたいのであれば、整形などの手段も考えられると思う。でも、土台を変えるより前にやれることがまだまだたくさんあって、努力もまだまだ足りないという自覚がある。他人とくらべるよりも、まずは「昨日の自分」「先週の自分」「去年の自分」よりもかわいくなるにはどうしたらいいかということに一生懸命になるほうがよほど建設的だということに気づいた。

安達祐実さんは私と違って、0歳から35歳までずっとかわいくて綺麗でありつづけているわけだが、私は安達祐実ではない以上、メンデルスゾーンとしての最良を目指すことにしたのだ。

そんなふうに、27歳になってやっと「ブス」という言葉から自由になれてきた気がしてようやく、コスメや美容の話を周りともできるようになり、「美意識」というテーマが気になってきた。その結果として生まれたのが、「悪友 DX 美意識」です。

 

ことわっておくと、ナンバリングされている「vol.1 浪費」「vol.2 恋愛」はサークル劇団雌猫の総意でつくっているのに対し、今回のDXは完全に「私が書いてほしい人に私が声をかけて企画・編集」という感じのため、結構偏りがあると思います。あと、「浪費」と違って、「おしゃれサイコー!」みたいな話ではないので、話によってはちょっとアンニュイな気分になるかもしれません。

でも、そういうところも含めて、同世代や近い世代のオタク寄りの女の子たちのありのままの自意識の標本みたいな本になったのではないかな〜〜〜と思っておりますので、ぜひぜひ手に入れていただければ幸いです。5月20日(土)阿佐ヶ谷ロフトで初売りだよ!