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飲みすぎないように文章を書く

ミュージカル「少女革命ウテナ ~白き薔薇のつぼみ~」を観てきた

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musical-utena.com

ピンクの髪の女の子が主人公の何やら仰々しいタイトルのアニメが始まるということは、他番組を観ているときに挿入されたCMで知っていた。

しかし、小学生だった私は、「なんか不思議なタイトルだなあ」と思っただけで、華麗にもスルーしてしまった。

幼稚園のころから「美少女戦士セーラームーン」は大好きで、そこから「なかよし」を読むようになり、「りぼん」「るんるん「ちゃお」少女コミック」「花とゆめ」と、だいたいの少女マンガ誌をむさぼり読む、少女マンガ好きになった。なお、「るんるん」はかなりマイナーなのではないかと思うが、「なかよし」の今はなき姉妹誌である。「コードネームはセーラーV」が連載していた。

セーラームーンを機に「戦う女の子」にハマり、ロッドが折れるほど「セーラームーンごっこ」をして、劇場版では「かぐや姫の恋人」で大号泣していた人間だから、「セーラームーンの重要なスタッフによる作品」ということを知っていたら、もしかしたら観ていたのかもしれない。いや、小学校の頃はそんなことを気にするほどオタクではなかったから、やっぱり観なかったのだろう。

時は流れ、私を「少女革命ウテナ」視聴へと導いたのは、「LaLa」連載の「桜蘭高校ホスト部」だ。中学一年生のとき学芸会のクラス劇の練習がだるくて(最悪)、舞台袖で、気まぐれに買ったLaLaをめくっていた。当時おこづかいでメインに買っていたのは「花とゆめ」で、LaLa作品は任意のものをコミックスで追いかけていたのだが、ホスト部の冒頭を読んだ瞬間に、「このマンガは絶対に来る」「リアタイで追いかけなきゃ」と思ったのを、今でも鮮明に覚えている。毎話いい感じに話がオチており、いつ終わっても違和感がない連載ぶりだったので、「長く続くように応援しないと」と、「花とゆめ」「LaLa」の2誌購読体制へとシフトした。

そんな女子中学生が全国にいたかどうかは知らないが、「ホスト部」は順調に「LaLa」の看板作品へとのしあがり、2005年にはアニメ化が発表された。「神風怪盗ジャンヌ」「フルーツバスケット」と、漫画で読んでいた大好きな作品がアニメになったことはそれまでもあったのだが、1話から追いかけている作品が動く絵になり、声がつくというのは、当時の私にとっては非常に感慨深いことだった。LaLaでは毎号ちょっとずつキャラ画などが掲載され、最高の期待が高まった状態で、高校生になった私は2006年の放送を迎えたのだ。

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……で、まあ本題からそれまくってしまうので、長くは書かないんですが、この「桜蘭高校ホスト部」のTVシリーズがめちゃくちゃ最高に出来がよかったんですよね。「ジャンヌ」のアニメで「原作の絵柄を忠実に再現するのが難しいのはわかるが、なんかなあ……」という不満を持ち、「フルバ」のアニメで「雰囲気も絵柄も声優も演出もエンディングも最高!だが、そのラストだけは納得行かねえ……でも原作が終わってないししょうがないか……」とぐちぐち言っていた私の心が、みごとに昇華されました。

それまで「マンガが好きになってアニメも楽しむがアニメのほうにはそこまではまらない」というパターンは経験していたのですが、「ホスト部」を通じてはじめて「マンガとアニメ、どっちも最高、そしてキャラソンアニラジも最高」というハッピーな気持ちを持つことができたのです。

原作の精神性とキャラクター、ストーリーをきちんといかしながらも再構築し、アニメでしかできないことをやってのけている「ホスト部」。当然、こんな素晴らしいアニメをつくってくれている人たちは何者なんだろうということが気になります。そうしてネットで聞きかじった「ホスト部の展開、めっちゃウテナのエッセンスがあった」というコメントをもとに、「少女革命ウテナ」のTVシリーズにふれることになったのでした。

……という出会いを経てようやく視聴した「ウテナ」、今にして思えば、非常にいいタイミングで観られたんだろうなあという気がしています。

小学生のときにCMをきっかけに純粋に視聴していたら、むしろ途中で脱落していたかもしれない。自分がウテナにハマったときに周囲に話したところ、当時の親友はリアルタイムでウテナを観ていたのですが、彼女はお母さんがオタクなオタクエリートで、エヴァンゲリオンも母と一緒に観ていたそうなので、受容と継続の素地があったんだろうなあと思います(なお私の人生で最初のコミケは彼女に誘ってもらったのですが、お母さんが買い出しを手伝ったうえでタクシー代まで出してくれたため、衝撃を受けた)。

高校〜大学時代は、決闘曲収録のサントラを頑張って集めたり、有栖川樹璃様をあがめて「ジュリスト」と名乗る人のファンサイトをひたすら閲覧したり、さまざまな考察サイトをまわったりもした「ウテナ」。その後「輪るピングドラム」「ユリ熊嵐」と、幾原監督の新作ふたつ(とくに「ピングドラム」)にもめちゃくちゃハマり、私の人生にとって非常に重みのある作品なんだよなあと思いつつも、「ガチの人たちに比べると全然だなあ……」というのがあるので、ここまでも周囲にそこまでは「ウテナ」の話をしてこなかった。他の人に対して、ウテナを語れるようなことがないからだ。実際、ウテナの何かしらのイベントやグッズ販売があってもほとんど反応できてないし……(こういうの、オタクのねじくれた悪いネガティブ思考ではあるんですけど……)。

なので、今回ミュージカルの製作が発表され、チケットの先行予約が始まった時も「一口だけ応募してみて、外れたら仕方ないかな……」という気持ちでのぞみ、実際外れてしまったんです。でも、初日を観劇した人から「めちゃくちゃよかったから観て!!!」とダイレクトに言われ、ぐわーーっと火事場の馬鹿力を出してほうぼう譲渡を探し回り、予定を調整し、なんとか……なった……。久しぶりにチケ譲渡垢とか使ったわ。なんとかなりました。

 

というのが完全に(言い訳ともいえる)前段で、ここからが肝心のミュージカルの感想なのですが……とっても良かったです。

良すぎたので、BD予約していろいろ買ってしまった。

f:id:zerokkuma1:20180310153753j:plainウテナが描いてあるのは、20周年展のカタログです。

 

以下ネタバレと主観(ともしかしたら勘違い)をまじえながら書いていきますので、ご注意を。

 

ウテナでミュージカルを演るということを聞いたときに、誰もが「舞台なり演劇の再構成という認識が強くある作品であるウテナを、今このタイミングでミュージカルにする意味ってあるの?」「たんに2.5次元舞台ブームだから、そこに乗っかって、劣化コピーのようなものをつくろうとしてるんじゃないの?」という懸念を抱くと思います。これは幾原監督自身も語っていることで(パンフの対談、読み応えがあった……)、過去に何度か2.5次元舞台のオファーがあった際も、この懸念なども踏まえて断っていたという話がありました。

しかし、幕があいた瞬間に、その心配はほぼ消えました。

「実舞台へのリスペクトの多数つまったアニメである『ウテナ』を、ミュージカルとして上演する意味」がしっかり感じられるし、演出側がそれを自覚してこの舞台をつくっているということが、まざまざと伝わってきたのです。

 

もちろん「こういうものが見たかったわけじゃない」と感じる人もいるだろうなとも思うのですが、個人的には「これならたしかに!」と思えるたてつけ、構成でした。

そこでいいなと思ったポイントは、今回のウテミュ(と略していいのかわかりませんが)、いい意味で「2.5次元」であり、いい意味で「演劇」であり、いい意味で「ミュージカル」、そしていい意味で「ゼロ年代アニメ」であることによって、「原作アニメではできないし、やらないだろうこと」がやっている点です。

 

●キャストの立ち居振る舞い、声のニュアンスの説得力が「2.5次元」

他の演劇以上に、「2.5次元」舞台でとにもかくにも重視されるのは、キャラクターの容貌の再現性です。顔立ちが似ていなくても、演技自体が巧くなくとも、キャラをそこに顕現させることができれば、その人は「2.5次元俳優」となります。

実のところキャストを知ったときは、どれだけアニメに「寄せ」てこれるんだろう……寄せるつもりないならないでいいと思うけど……と気になっていたのですが、実際に動いているキャストのみなさんの姿と声を目の当たりにしたら、その再現性に「え!」とびっくりしてしまった。とくに天上ウテナ役の能條愛未さん。大変お恥ずかしいことに今回のミュージカルのキャストとして発表される前は存在を知らなかったのですが、伸びやかな肢体と透明感のある声で、マジで「天上ウテナ」だった……。よかった。

ビジュアルを見た時点でワクワクしていた姫宮アンシー役・山内優花さん、全身の比率が完璧に宝塚やんけという気持ちでノックアウトされてしまった有栖川樹璃役・立道梨緒奈さんなども好きでしたが、出てきた瞬間に圧倒されたのが、篠原若葉役・竹内夢さん。いや〜〜、若葉でしかなかったでしょ……。なんなのあれ……。

私はどんなフィクションでも、「切ない」「悲しい」「不条理だ」ということで泣くことよりも、「ああ、これはフィクションだけど、現実だ」というか、なんだろう、「本来存在しないものが完璧な存在感をもって存在しえている」という実感に感極まったに、ばーっと泣いてしまうのですが(例:映画版「オペラ座の怪人」の冒頭で、既に廃墟となっている劇場が、往時の華やかな姿へと変わっていくシーン)、今回のウテナでは、若葉が出てきて、ウテナの背中にパッと飛び乗った瞬間に、ばーーーと泣いてしまいました。それだけ、若葉の説得力がすごかった。

その若葉と並び立つ2.5次元的存在感を発揮していたのが、桐生七実役・鈴木亜里紗さん。「少女革命ウテナ」における最大の狂言まわしといえば、影絵少女なわけで、(後述するように)彼らの今舞台においての重要性ははかりしれないのですが、そこに七実が絶妙なあんばいで乗っかり、作中世界と客席とをつないでくれるような発言をすることで、より安定感のある舞台となっていました(これはかなり個人的な感慨ですが、「2.5次元」というのはどこまでもメタにあることによって成り立つ技巧なので、純粋な演劇以上に、作中と客席とのつなげ方が大事になると思っている)。七実様のおそうじタイム最高だった。

 

●徹底的にセットを排し、影絵少女の見立てで押し通す「演劇」

近年、映像技術のめまぐるしい発達により、プロジェクション・マッピングを有効活用した舞台が多数あります。とくにアニメやマンガといった原作の2.5次元舞台の場合(観客がお芝居慣れしてないことも多いせいでしょうが)、アニメ・マンガ的視覚効果をわかりやすく演出するために、プロジェクション・マッピングがよく出てくるよな〜〜でも個人的には邪魔だな〜〜と思うこともそこそこあります。今回も、とくに決闘場のシーンでそうしたギミックが多用される可能性もありうる……?とハラハラしていたのですが、見事に何もなかった(笑)。

それどころかセットも、アニメでもおなじみのあの、四隅に薔薇がある飾り枠+階段+舞台の中腹あたりにある幕のみ。超シンプルです。

ウテナ」はアニメなので、自在にシーンが切り替わり、多種多様で複雑な美しさをもつ造形物が登場し、そうした背景美術も魅力のひとつなのですが……かわりに活躍するのが、影絵少女役・NENEさんと熊田愛里さん、冬芽幼少期役・池田謙信さん、西園寺幼少期役・山内涼平さん。この4人、名前のある役+それ以外のアンサンブルを行うくらいの役回りかと思いきや……「全部やる」のでびっくりしてしまいました。背景もつくるし、決闘場になるし、それどころか、アニメを見ている人にとっては重要なあの役やらあの役やらを普通にやるという(笑)。

キャストだけ見ると、「あれ、生徒会以外は出さないで第一部やるの?」と思うわけですが、ふつうに他のキャラ、バンバン出てきます。ただ名前は出てこないし、それらはすべて影たちの仕業。それでいて、名前がなくても、同じ影が演じていても、「あ、◯◯になった」「あ、これは◯◯」ということが、キャストの立ち方やポーズだけでしっかりとわかる。

観客がきほん「ウテナ」を知っているだろうという信頼があるからこそできる見立てというか(正直初見の人には不親切だと思う)、アニメの「ウテナ」が存在しなかったら成り立たない見立てで、でもそれがめちゃくちゃ「演劇」的な手法というのが、すごいおもしろいなあと思いました。

2.5次元的な観点からいうと、◯◯と◯◯のキャラはキャストを個別に立ててもいい存在だと思うのですが、(まあ予算的なこともあると思うが)独自キャストとしては存在しないことによって「演劇のおもしろさ」が発揮されてるのが、よかったです。

逆にいうと、もし第二部をミュージカルでやるなら、◯◯や◯◯をはじめとしたキャラたちは、絶対に個別キャストでないと成り立たないんですよね。そこをどうするつもりなのかを含めて見てみたい点で、この演出があったからこそ「えー第二部見たい」と思わされました。

それにしても、「絶対運命黙示録」〜決闘シーンの見立て方はほんとおもしろい。「え〜〜、こういうものになるの!?」と普通にびっくりするけど、なんか何度もみたくなっちゃう……という不思議な中毒性がありました。

●曲数が惜しみないし、歌唱がガチで本格的に「ミュージカル」

「ミュージカル」において単純だけど重要なことが、キャストの歌のうまさだと思います。私はそもそも自分が歌うまくないし、耳もいいわけじゃないのですが、やはり2.5次元舞台でも、うまい人とそうでもない人の差は歴然としてるし、実は宝塚も全員が歌うまいわけではなく、東宝ミュージカルとか帝劇を久しぶりに見にいくと、「『歌がうまい』って、こういうレベルのことを言うんや……」とバチバチに衝撃を受けます。

……が、今回女の子がみんなガチで歌がうまかった。「ストレートプレイの俳優/アイドル/モデルが、歌も頑張ってみました」というたぐいじゃなくて「いや、これは少なくとも数年はトレーニングしてるよね…?」というもの。

影絵と幼少期の4人+竹内夢さん、鈴木亜里紗さんがうまいのは、納得感あるのですが、能條愛未さんがずばぬけてうまかったので、本当にびっくりした。今回のウテミュで「あ、これはたぶん信頼していいやつだ」と思ったのも、能條さんが歌いだした瞬間です。そして鑑賞後に調べてみたら、なんと3歳で「セーラームーン」ミュージカルを見て、ミュージカル女優を志し、トレーニングを積んで「アニー」の最終オーディションにも残っていたという。そりゃうまいわ。そんな能條さんがウテナ役でミュージカルの初主演を踏んだ、というのも素晴らしいなあと思いました。

で、しかも有栖川樹璃役・立道梨緒奈さん、篠原若葉役・竹内夢さんも、セラミュ出身者なんですね。セラミュ見たことないのを反省しました……。

今回のウテナがたんに「演劇」ではなく、「2.5次元だし歌も歌うやつ」でもなく、「きちんとした歌唱のできるキャストによるミュージカル」として上演されたのも、私はすごく好みでした。

アニメのウテナは、どんなに感極まっても、つらい目にあっても、そしてまた立ち上がろうとするときにも、歌いません。キャラソンも出しません。90年代は今ほどキャラソン文化が広がってはいなかったということもあるとは思いますが、歌わずともウテナたちの感情はきちんと伝わってくるようにあらゆる演技と演出とモチーフがこらされているし、あのアニメにおいては、受け手の感情を(聴覚というフィジカルを通じて)煽るうえでは、「決闘曲」があれば十分なわけです。決闘以外の部分で、そうした「強い」歌唱要素が入れないことで成り立ってるバランスがあって、それが「ウテナ」だった。

でも、ミュージカルというフォーマットのいいところは、「キャストが一曲歌うと気分や感情が切り替わっても許される」ところ。2時間で第一部を駆け抜けるためには、演技と演出とモチーフだけでなく、やはり「歌唱」の推進力が必要で、そこできちんと実力あるキャストさんが配されたことで、アニメ版ウテナとは違ったカタルシスが生まれていて、いいなあと思いました。

そして、「歌がうまい」という話をしたところでちゃぶ台をひっくり返すのですが、冬芽役の戸谷公人さんが(このキャストのなかでは)歌唱による表現力が巧みではない、ことによって、ウテナにおける「王子」のうすっぺらさというものを、期せずして体現しているのも、私はめちゃくちゃいいと思ったのだった……(つまり映画版の及川光博さんと似たような効果です)。

(なお余談なのですが、薫幹役の大崎捺希さんだけ異常に「あんスタ」を彷彿とさせる歌唱なんだよなあ……髪の毛が青いせいかなあ……と思っていたら、私が一度だけ観に行った「あんステ」にマジで出ていた方だというのがあとで発覚してめっちゃ笑った)

おそろしいことに公演曲が20曲以上あるんですが、それらがアニメのセリフやストーリーには忠実でありながら、アニメの楽曲には引きずられてないのも、私は好きでした。なんか、いい意味で「ゼロ年代アニメのキャラソン」っぽいんですよ。そんなの、絶対に原作アニメにひもづいたかたちでは聞けないものだし、決闘曲が聞きたきゃアニメを見直せばいいので(笑)、私はとても楽しく鑑賞できました。

今回、最初の25分ほどで第1話の内容を演じる+その後1時間で2〜10話を取捨選択して再構成+残りの時間でクライマックス、という感じの時間配分だったのですが、この「第1話だけはアニメと同じ尺で、アニメのテンポをいかしてやるんだけど、楽曲はゼロ年代感」あるのがすごく良くて。しかも西園寺との決闘終わってアンシーとエンゲージしたところで、全員で「漆黒の闇、薔薇の園」というメインテーマを歌い踊るのですが、これが完全にゼロ年代以降メジャーとなった「キャラ全員で歌い踊るED」にしか見えないんですよね(笑)。第1話部分がまるまる、「もし少女革命ウテナゼロ年代アニメだったらこんな感じ」という構成に見えて、遊び心が感じられました。

っていうか本当に、何故か鑑賞している間ずーーっと「涼宮ハルヒの憂鬱」のことが頭に浮かんできて、みんなで歌い踊ってるせいなのかなあ、なんでだろう……と考えていたのですが、途中で気づいたんですよ。「漆黒の闇、薔薇の園」のサビがそもそも「God Knows」のメロディとめちゃくちゃ親和性があるということに……(笑)。友人(声楽専攻)からは同意を得られなかったので、誰か見た方、感想を教えてください。

 

 

そんなわけで、思っていた以上に楽しめてしまったウテミュの感想を勢いのままに書き綴ったら、思っていた以上に長くなってしまった……。

 

すでに好評のようでチケット一般発売は売り切れてるし、当日券も数枚だし、譲渡もほとんど出てませんが、もしちょっとでも関心持った方はぜひチケット探してみてください。あとGYAOで千秋楽のライブ配信やるようです。

 

BD予約して発売記念イベントの招待券もゲットしたので、行くのが楽しみです。